オレは“1日一本まで”と決めたタバコの箱に手を伸ばした。中に入っていた1本を咥え、火をつける。
リビングの脇にある風呂場からかすかに聞こえるシャワーの音に耳を澄ましながら、俺はそれをゆっくりと味わった。
今シャワーを浴びているのは、行きずりの女でも飲み屋のねーちゃんでもない。
オレの、親友だ。
いや、今はもうただの親友じゃない。数日前からそれはレベルアップして・・・今はよく分からない。
親友の上のランクって言ったら何なのか?恋人?男女の関係ならそれは当てはまるだろうが・・・オレらの場合はどうなんだろう。
多分きっと限りなく近いんだろうけど、どうも、何か違うような気がする。
突然、けたたましい振動音が響き、オレは危うく飛び上がりそうになった。テーブルの上で楓の携帯がガタガタ震えている。
「びびった・・・」
一応プライバシーだからな、なるべく視界に入れないようにしていたが、なかなか振動はやまない。着信みたいだ。見る気は更々なかったのだが、ついにチラっと目に入ってしまった。
オレはその画面を見てギョッとした。画面に表示されていた着信相手の名前にじゃない。むしろそんなものは目に入ってなかった。その表示の後ろ・・・待ち受けに設定されているのであろう画像が、大口を開けて寝ているオレの写真だったのだ。
「ぬぉっ!?」
思わず声を上げていた。座っていたソファが軋む。一体いつの間に撮ってたんだ。てかこんなん使うなよ!
今すぐこの振動を止めたくなったのだが、人の携帯だ。とりあえずオレはそっと携帯を裏返し、遠ざけた。
ちょうどその時、風呂から上がった楓がリビングに入ってきた。
「どうかした?なんか声聞こえたけど」
「あ?で、電話来てた」
オレが携帯を顎でしゃくると、楓はタオルで髪をごしごし擦りながらそれを手に取った。無表情に画面を見ると、すぐに部屋の隅に置いてしまった。
「あれ?いいのか?」
「うん。もう必要ない。邪魔だし」
なんでもないように軽く笑うと楓は台所へ行った。
オレはタバコをふかすと、まだ半分近く残っているそれを灰皿にねじ込んだ。
しばらくして楓はスミノフを2本手に戻ってきた。飲む?とオレの前にその1本を置くと、向かい側の床に座って瓶をあおった。
今日はやけに飲むな・・・ そう思いながらオレは楓の白い喉が上下するのを見ていた。
少し首元が伸びて胸元がはだけたTシャツ、緩いスウェット、眼鏡のない顔。なんてことはない、いつも通りの楓の姿がそこにある。そう、いつも通りだ。別に普通なのに・・・何故か目が離せなかった。
楓がいつもより酔っていて、妙に色っぽく見えるからなのか?・・・今までこいつを色っぽいなんて一度たりとも思ったことはなかったけれども。
酒が唇の端からこぼれ、楓はそれを指で拭った。だいぶ赤みがさし、濡れている唇にオレは思わずドキリとしてしまった。いやおうなく、あの時のアレを思い出してしまう。
「雅?どうした?さっきからずっと俺のこと見てるけど」
気づかれた。楓は真顔だったが、目だけが熱っぽく潤んでいた。
「いや、別に。やけに飲むなーと思って」
オレは少し動揺しているのをごまかすべく、目の前の瓶を開けた。
自意識過剰に思われるかもしれないが、あれから、楓は惜しげもなくオレへの愛情を表現するようになった、と思う。
抑圧する必要がなくなったから当然といえば当然だが、さっきの携帯のアレもしかり、とにかく、欲望めいたものを感じるんだ。全身でオレを求めているような。
正直、それが少し重たいというか、なんとなく嫌だった。
楓のことは嫌いじゃない。むしろ好きだし、好いてくれる事も素直に嬉しい。でも、オレの「好き」というのは、楓のとはきっと違う。
楓はオレを女のように扱うが、オレはそうされたいと思わないし、楓をそうしようとする気にもなれない。
楓は楓。大事な人に変わりはないが、何と言うか・・・やっぱり、恋人と呼ぶのには抵抗がある。
好きなのに、なんでこう吹っ切れない思いが付きまとうんだろう?自分の中にあるわだかまりが何なのか、自分でもよくわからない。だから、楓のまっすぐな愛をぶつけられると、オレは苦しくなる。
モヤモヤを振り払いたくてタバコの箱を手に取った。が、すぐにテーブルに投げつけた。そういや一本しか入れてないんだった。
「買ってこようか?」
楓はそう申し出たが、オレは
「いや・・・いいよ」
仕方なく酒をあおった。わざと視線を合わせなかったが、楓は少し不安げな顔をしていたように思う。
なんだかやけにムシャクシャしてきた。
なんでこんな事になってんだろう。やっぱり、下手に返事なんてしない方がよかったのかもしれない・・・
と、後悔しかけた事を後悔した。あの時の気持ちは嘘じゃない。それだけは分かっていたからだ。
「ごめん、雅」
不意に楓は言った。
意味が分からなくて、オレは楓の顔を見た。相変わらず無表情だが、ほんのりと頬は赤くて、どこか熱っぽく見えた。
「俺がそんなに雅を悩ませてるんだろ?」
「え?いや・・・」
そうじゃない。何に悩んでいるのか自分でもよくわからないんだよ。
「ごめん。好きになってごめん。やっぱり言わないほうがよかった」
「や・・・めろって!本気でそう思ってんのか?」
イラついてつい大きな声を出してしまった。しまったと思った。楓はショックを受けているようだった。
「・・・悪ぃ。けど、やっぱりとか、しなきゃよかったとか言うなよ。お前だって、いろいろ覚悟の上で言ったんだろ?だったら・・・」
「でも、俺は・・・。雅が嫌がることはしたくないから」
「嫌じゃねぇって!全く・・・なんでわかんねぇんだよ」
・・・とは言ったものの、自分の言葉の理不尽さに苦笑した。何も伝えようとしてないのに分かるわけがないよな。
「とにかく・・・嫌じゃないんだって。逆に、こうなってよかったと思ってるよ。お互いぶちまけるとこぶちまけて、その上でオレはお前と離れないことを選んだんだ。だからもう後悔は言いっこなしな」
楓はゆっくりと頷いた。赤らんでいた顔はさらに赤くなり、何かを堪えているように震えていた。
「けど・・・、じゃあなんでそんなに苦しそうなの」
「わかんねーんだよ。なんかどうしても・・・お前の事、恋人って風に見れなくて。けど勘違いすんなよ?好きなのは好きなんだよ・・・ほんとに」
傷つけてしまうかと思ったが、思ったままを正直に言うしかなかった。うまく取り繕える程自分の気持ちが整理できていなかったから。
けれど楓は少しも傷ついた様子はなく、むしろ目に光が灯ったように見えた。
楓はそろそろとオレの足元まで近づいてくると、そっち行ってもいい?と聞いてきた。オレが頷くと、いきなり膝の上にまたがってきた。
そして、そのまま向かい合った状態で抱きつかれた。
のっしりと、全身をものすごい重量感が包む。少し息苦しい程だ。細身とはいえ、楓はオレより少し背がでかい。柔らかさはなく重さしかない体はやっぱり男である事をまざまざと感じさせる。
楓はオレの首筋に顔を埋めたまま動かない。濡れた髪があたって少しかゆいが、いい匂いがする。
嫌悪感はなかったが、何故か頭の芯はどこか冷えたままだ。むしろ楓の心情がわからなくて、オレはただ抱きしめられるだけの木偶になっていた。
「楓・・・?」
オレがたまらなくなって声を掛けると、楓はごめん・・・とため息交じりに答え、腕を解いた。
「嬉しくて。雅が俺の事好きって言ってくれて、たまらなくなって」
オレの上に乗ったままの楓は酔っているみたいに赤く、惚けた顔をしていた。実際酔ってるんだろうけど、こんなことをするのは酒のせいではないだろう。
「そんなの前から言ってるじゃねぇか・・・」
オレがそう言うと楓は心底嬉しそうに笑って、
「俺は・・・雅と恋人になりたいなんて思ってないよ」
そう言った。
「・・・え」
「俺は・・・、雅が俺を好きでいてくれるだけでいいんだ。こうして傍にいて、俺を好きでいてくれれば、それ以上は何も望まない。だから、俺を恋人として見ようとしなくていいんだよ」
楓の言っていることがよく分からなかった。・・・オレ達は恋人じゃないのか?お互いの気持ちが通じ合ったら、恋人になるもんじゃないのか?
「つ、付き合ってんのに・・・何もしなくていいって事か?」
「・・・雅が望むなら何でもするよ」
楓は少し不思議そうな顔をして答えた。オレはますます訳がわからなくなった。
「ちょっと・・・待てよ。オレらってお互い相思相愛なんだよな?つまり、オレらは付き合ってて、恋人同士って事だよな?」
「そう・・・なのかな。雅がそう思うならそうだけど・・・、俺は、あんまりそういう感覚はない。無理に恋人っていう言葉に当てはめようとしなくていいんじゃないかな。だって、その中には色々と暗黙のルールみたいなものが詰め込まれてて、無意識にそれに沿おうとするだろ?それってある意味すごく窮屈な関係だと思うんだ」
楓は続けた。
「さっき雅が言った、『付き合ってるのに何もしなくていいのか』ってのだってさ、恋人ならこうあるべきだっていう固定観念から来てるものだろ?俺は、雅にはそういうのに縛られて欲しくないんだ。したくないことはしなくていい。好きっていう気持ちがあるだけで十分だから」
「何だそれ・・・。そんなんでいいのか?ってか、お前にとってのオレって何だよ?」
聞くと、楓は再びオレに抱きつき、首筋に火照った頬を擦り寄せた。
「命、かなぁ」
耳元で囁かれた言葉にどきりと心臓が跳ね上がった。胸がざわざわしてくる。
「な、な。お前、酔ってるだろ・・・」
すると楓は酔ってない、と小声で言い、顔を離した。そしてオレと向き合うと、目を細め、
「俺はもう、雅なしじゃ生きていけない」
その時、頭の中で何か、切れていた糸がピンと繋がるような感じがした。そしてオレも素直に、そうだ、と思った。
けれど口に出すのが少し恥ずかしくて、代わりにオレは下ろしていた両手を、楓の腰に回した。
やがて楓の顔がゆっくりと近づいてきて、どちらからともなく、唇が重なる。
キスをするのはあの日以来だ。あの時よりも濃厚な、欲望にまみれたキスだと思った。
けれどそこにはもう重さとか、苦しさはない。オレも、こいつがぶつけてくる愛を受け止め、そして与えてやった。
「ごめん・・・、傍にいて好きでいてくれるだけでいいって言ったけど・・・、それだけじゃ足りない・・・かも」
不意に唇を離し、楓が独り言のように言った。
「俺、雅とひとつになりたいんだ」
全身が総毛だった。一応言っておくが悪寒じゃない。けど、要求のレベルがはね上がりすぎやしないか?
オレの動きが止まったのを見て楓はクスっと笑った。
「違うよ。セックスしたいって意味じゃない。何ていうか・・・ひとつの物質になりたいっていうのかなぁ。」
「それは・・・さすがに無理じゃね・・・?」
少し、ほんの少し、0.01mmくらい引いた。けれどそれは決してマイナス方向にじゃなく、楓の想いの深さに軽く戦慄したっていうのか。
「・・・けど、こうしてると、それに近いような気がするんだ。・・・だから、これもしてもいいかなぁ」
すると楓は軽くついばむようなキスをした。
「・・・いいよ。」
答えて、オレもキスを返した。
この前も思ったが、こいつとするキスは不思議な魔力みたいなものがあるように感じる。いくらでもしていたい。キスがこんなに気持ちのいいものだと、オレはこのとき初めて知った。目を閉じていると、本当に楓と一体化しているような、そんな気さえする。
恋愛感情なんて、男女の間にしか成立しないと思っていた。少なくともオレの辞書にはそう書いてある。だからたとえ男同士でも、形式的には「男女」つまりオレは楓を女の代わりとして見ようとしていたんだ。(自分が女役になるという考えは微塵もわかなかった)
けれど実際は性別とかどうでもいいんだ。好きなものは好きになる。実際オレは、物心ついたときからの相棒であるこいつの事が、ずっと好きだったんだから。その「好き」ってのは親愛に他ならなかったが、今思えば、恋のようでもあった。まぁ、親愛ってそもそもそんなもんなんだろう。
だから今更楓を女として見る事が出来ないのは当然のことで、そうやって楓と恋愛をするのもまた、無理な話だったのだ。
オレらは恋人であり、親友であり、家族・・・お互いなくてはならない関係、つまり楓の言ったアレが一番近いのかもしれない。だからこれからも、そうあるだけ。
こういう関係を築ける相手がいるのって、すごく幸せな事だと思った。
「なぁ。お前、もうちょい貪欲になってもいいと思うぞ」
オレはキスを止め、言った。
「・・・ん?」
「昔っから何するにもオレ本位だったじゃん。オレの下僕かよってくらいさ。さっきだって、こうしてるだけでいいとか何とか言ってただろ」
「だって、実際俺は雅に支配されてるから。俺にとっては雅が一番なんだよ」
何でこう、こいつは息を吐くようにこんなセリフが言えるのか。言われているこっちの身が持たない。
「それは嬉しいけどさ・・・、オレだって同じ気持ちなんだよ。だからお前にも色々要求して欲しい」
「俺の要求なんて・・・雅が」
「だから!あーもう、お前も好きなようにしろっつってんだよ!」
楓は切れ長の目を瞬かせた。
「・・・いいの?」
「いいよ。つか、そうじゃなきゃ対等じゃねぇだろ。オレはお前のご主人様じゃねーんだから」
オレがそういうと、楓の目が爛々と輝きだした。
「ほんとに・・・俺のしたいことしていいの?」
その目は確実におかしな色を含んでいる。まるで盛りのついた犬のような・・・
「ちょ、やっぱ待て。今日はとりあえず・・・」
身の危険を感じたオレはひとまず近づいてくる犬の頭を引き剥がそうとしたが、既に遅かった。
「待てってオイ!!!」
次の瞬間、オレはソファに押し倒され、巨大犬に蹂躙されるがままになっていた。
仕方がない・・・こうなったら気が済むまで可愛がってやるか。
オレは目の前で揺れる、長めで艶のある黒髪をそっと撫でた。
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【終】
このままラブラブエンドと行きたいとこですが、最終的にはお互い好きなまま別れるエンドもいいかなって思う今日この頃