「まさかるっしーが屋上にいたとはねぇー。そりゃー誰にも見つからんはずだわ。つーか、あったことすら知らなかったし!」
間垣は特大唐揚げ弁当をかき込みながら言った。
やっぱり、ここでも屋上は幻の場所らしい。まぁ、それもそうだろう。
屋上に続く階段の入り口なんて、どう見ても防火扉だし。
「まじで誰にもゆーなよ?つーか、バレたら全員停学だからな、多分」
「言わないって!俺を信じなさーい」
箸を持ったまま親指を立てて、パチっとウインクしてきた。
片桐はというと、
「えへへ、3人だけの秘密だね」
そう言っていつもの調子でにっこり笑う。
「うんうん、まだちょい寒いけど、サボリには最適の場所だな!結構広いからスケボーとかできねーかなぁ」
「あはは、いいね!でももし落ちたら大変だねっ」
片桐と間垣は2人で好き勝手に盛り上がっていた。
こいつら、立ち入り禁止場所に入ってるっていう緊張感みたいなもんは全くないらしい。どこまでも能天気な奴らだ・・・。
「ねぇねぇ、今更だけど、聞いていい?」
弁当を食い終えた間垣が不意に切り出した。いつになく真剣な目をしている。
「黎夜ってさ、ちんこついてるの?」
ごふぁっ!!!!!!
俺は飲んでいたコーヒー牛乳を盛大に噴き出した。一気に器官にコーヒーが流れ込んできて、激しく咽る。
突拍子もない質問に、一瞬片桐も固まっていたが、すぐに側に来て「大丈夫?」とハンカチを差し出してくれた。
「おっ・・・おま!いきなり何言い出すんだよっ!ゲホッゲホッ」
「だってさぁ~、ありえねぇーよ。この顔でついてるなんて思えねーもん。何か俺、目覚めちまいそうで怖ーい」
「馬鹿かお前!!ゴホっ」
「あはははっ」
とんでもない間垣の告白?を前にしても、片桐は暢気に笑っていた。
・・・もしかしてこいつも間垣並の馬鹿なのか?もしくは頭が良すぎてちょいイカレちまってるとか?
咳き込みながら色々考えてるうちに、少し怖くなってきた。変人はさすがに手に負えない。
片桐が何気なく背中を擦ってくれていたせいか、咳も大分収まってきた。それを見計らってか、静かに手を止めて口を開く。
・・・が、次に出てきた言葉は全く予想外のものだった。
「どうだろうね?」
「何だそれっ!!!」
思いもよらない返答に、思わずつっこんでしまった。ここでボケる必要ねーだろ!
「確かめてみる?」
・・・は?
低く、妙に艶のある声に全身が一気に総毛立った。気のせいかも知れないが、耳元で言われたような気がする。
意味がわからない、いやわかりたくない。きっと聞き間違いだ。・・・そんなことを考える余裕は一瞬で掠め取られてしまい、思考はもちろん身動きすら封じられたように感じた。
ぶはははははっ!!!!
そんな緊張をぶち壊したのは間垣のけたたましい笑い声だった。
一瞬、助かったと思ったが、すぐ俺はまた別の意味で呆気にとられることになる。
「黎夜、おもっしれぇええええ!!!!!」
間垣は腹を抱えて笑い転げていた。
何故か片桐まで一緒に笑っている。
・・・面白い部分あったか? つーか、普通に笑えなくね?
二人が爆笑している中、俺はただ一人訳がわからなくて呆然としていた。多分、傍から見たらものすごく間抜けな顔してたと思う。
何なんだこの空間。そして今まで感じたことのないこの疎外感。
・・・ああ、俺だけが正常ってことか。
「いやぁ、ほんと、黎夜最高!」
「えへ、ありがとう」
どうやら笑いの嵐は去ったらしい。気づいたら口が開きっ放しになっていたので、俺は慌てて表情を引き締めた。が、一歩遅かったらしい。
また間垣の平手が頭に飛んできた。
「るっしー!何しけたツラしてんだよ!」
「いや・・・何がおもしろいのか俺にはさっぱり・・・」
何だか、引っ叩かれても怒る気力が沸いて来ない。
「見事じゃん、ボケをボケで返すなんてさー。いやまじ、黎夜がこんなノリいい奴だったなんて、予想外。」
ちょっと待て。
間垣はいいとして、片桐のあれがボケだったなんて、到底思えない。
後ろにいたせいで表情は見えなかったが、あの声は少なくとも俺にはふざけていただけのようには聞こえなかった。
しかし当の片桐は、何事もなかったように間垣と笑いながら喋っていた。
そんな様子を見ていると、自分だけがこんなに動揺しているのが悔しく思えてくる。
・・・やっぱりあの発言には深い意味などなかった、ただの気にしすぎだったんだ。
俺は自分にそう信じ込ませて、早く忘れるよう努めることにした。
・・・だが、忘れるどころか、もっと意識せざるを得ない状況にさせられるとは、この時は思いもしなかった。
ピンポンパンポーン
「1年2組 間垣祐介くん 至急野球部部室まで来てください 繰り返します・・・」
絶好のタイミングで呼び出しがかかり、入部のミーティングがある事を忘れていたらしい間垣はすっ飛んで行ってしまった。
俺にとっては逃げたとしか思えない、勿論本人に全くそんな気はないんだろうけど。
こうして、俺は片桐と2人きりで屋上に取り残される羽目になったのだった。
「行っちゃったね・・・。」
頭の中は真っ白だった。今までは間垣が勝手に場を盛り上げていたから何もしなくてもよかったものの、奴がいないとなると何をどうしたらいいのかわからない。
途端に、気まずい沈黙が流れる。
今まで忘れていた、昨日の帰り道のあの居た堪れない空気を思い出す。それに、さっきのあの発言。
いくら忘れようと決めたとはいっても、さすがにまだ動揺は消えてはいないし、二人きりになると嫌でも意識せざるを得ない。
こんな今の俺に、片桐と普通に会話できる自信なんてあるはずもなかった。
・・・俺も逃げよう。
俺は無意識に片桐から距離を取った。そして思い切って後ろを振り返って言う。声の震えを悟られないように気をつけて。
「・・・寒いし、俺らも中入ろうぜ」
言ってから、しまった、と思った。誘っちまったら意味ねぇじゃん。
片桐はきょとんとした目で俺を見ていた。数秒間そのままだったが、やがて不意に立ち上がると俺を無視しフェンスの方へ歩いていった。
(無視かよ・・・)
予想外の反応に一瞬面食らったが、逆にラッキーだった。これで気兼ねなく一人で出て行ける。
俺はすぐ気を取り直して立ち上がると足早に出口に向かった。
「俺は戻るから」
そう言って扉に手をかけると、不意に「流紗くん」と名前を呼ばれた。
「ねぇ、見て。桜、綺麗だよ」
振り返った片桐は、今まで見たことがないくらい優しい笑顔をしていた。
思わず手が止まり、ここから逃げようとしていたこともすっかり忘れて、見入ってしまう。
風に黒髪を揺らしながら微笑むその姿が何だかとても眩しく見えて、俺は無意識に目を細めていた。
そうして見ていると次第に周りの景色が霞んでいき、頭もぼーっとしてきて、視界には片桐のぼんやりとした輪郭だけが残った。
何だか誘われているような気がして、俺は無意識にその影の方へと歩き出す。
近づいていくと、ぼやけていた景色も段々とはっきり見えてくる。
・・・ここはどこだ?
屋上、のはずなのに、目に映ったのは一面の桜吹雪と生い茂る木々、草の緑。
どこかの山の中のような場所に俺は立っていた。少し離れた丘のような所に、ひときわ大きな桜の木が見える。
気持ちいい風が吹いていて、枝葉や花を優しく揺らしている。その風の音に混じって、誰かの声がかすかに聞こえてきた。
・・・俺を呼んでいる?
何だか聞き覚えのある声だ。 遠い昔に置いて来た淡い感情が蘇って来て、懐かしさと恋しさが一気に胸にこみ上げてくる。
あの子だ!
幼い頃に失ってしまった、記憶の中の大切な人。あの木の向こうへ行けばきっとまた会える。
会いたい。あの頃に、戻りたい・・・。
俺は無我夢中で駆け出した。
なのに、何故か足は鉛のように重く、思うように走ることができない。足元は草が深々と生い茂り、ぬかるんでいて、今にも転んでしまいそうだ。
段々と声は遠くなっていく。俺は慌てて叫んだ。
はず・・・なのに、声が出ない。
いや違う、名前が思い出せない・・・!
待って、待ってくれ!
「来ちゃ駄目!」
ぴしゃり、鋭い声が空気を切り裂いた。
はっとして前を見ると、そこには片桐の姿と、硬いコンクリートの床とフェンス・・・元通りの屋上の景色があった。
鉛のようだった足の重みは嘘のように消え、周りを見回しても、さっきの桜の木や丘はどこにもない。あの子の声ももう聞こえない。
「片・・・桐・・・?」
何が起こったのか、よくわからなかった。
いや、もしかしたら何も起きていないのかも知れない。
俺は幻を見ていた・・・。でも、あの場所は?あの子は何処に?来ちゃ駄目って何だ?
でも・・・さっきまで笑ってたのに、どうして今、片桐はこんなにも辛そうな顔をしてるんだ・・・?
片桐の手がゆっくりと伸びてくる。顔はとても苦しそうに歪み、肩を震わせて今にも泣き出しそうだ。俺は動くことができず、そして片桐から目を逸らすこともできずに、何か言いたげに震える唇を見つめることしかできなかった。
やがて伸びてきた手は俺の頬に触れ、何度か撫でると、手はそのまま下に降りて行き、肩を伝って俺の左腕に辿り着いた。
片桐は持ち上げた俺の腕をじっと見つめ、そして両手で何度も確かめるように触っている。
突発的に、抱き締めたいと思った。
だが思うより早く、気がついたときには俺の両腕はしっかりと片桐の体を拘束してしまっていた。
どうしてそう思ったのかわからない・・・まだ、なんだか夢をみているようだ。
だが、腕の中には確かな温もりがある。
想像していたものとは違う、凹凸のなく見た目よりもずっと男らしい体の感触にも嫌悪感は全く感じず、むしろずっとこうしていたいとすら思えた。
「る・・・しや・・・くん・・・」
温い風が吹き渡り、校庭の木々がざわざわと葉を揺らしている。
目を閉じれば、さっき見た光景が浮かんでくるようだ。
ごめんね・・・
風の音に混じって、そう聞こえたような気がした。