ライバル編

夏休みの午後、俺と片桐は駅前通りを繁華街に向かって歩いていた。
片桐の幼馴染がこちらに来ているから、俺に紹介したいんだそうだ。
正直あまり気乗りしなかったが、相手の方も俺に会いたがっているって言うから、行かない訳にも行かなくなってしまった。

ただでさえ初対面の相手は苦手だっていうのに、相手は都会育ちのお坊ちゃま。そして興味を持たれてる事が更なるプレッシャーとなって俺にのしかかって来る。片桐曰く「いい人だし、フォローするから大丈夫」らしいが・・・。

繁華街から少し外れしばらく歩くと、小さいファミレスに到着した。

「もう来てるかな?」
片桐は躊躇なくドアを開け中に入っていく。全く、俺の気も知らないで。
覚悟を決めて後に続くと、奥のテーブルで片桐が手を振っている。どうやら先着していたらしい。「紹介するね。小学校からの友達の相沢翔吾くん。」
「初めまして。よろしく」
翔吾とかいう男は爽やかに笑うと、軽く会釈をしてきた。
「どうも・・・」
俺も釣られて頭を下げる。
「黎夜に話聞いて、一度会ってみたいと思ってたんだ。じゃ、何か頼もうか?とりあえずドリンクバーでいいかな」
爽やかに言うと翔吾は手際良くオーダーを済ませ、運ばれてきたジュースで俺達は乾杯した。
緊張し乾いていた喉にメロンソーダの炭酸が心地いい。

一息ついた所で、俺は改めて翔吾を一瞥した。
色白メガネ、綺麗に整えられた髪とシワ1つない高そうな服。見た目は王道金持ちエリートで、俺とは一生縁がなさそうな人種だ。

「それにしても黎夜、少し太ったんじゃないのか?」
「あ、やっぱり分かる?実はそうなんだよね。実家だとどうしても食べ過ぎちゃって」
「ふふ、大食いなのは相変わらずか。でもそれ以上顔が丸くなると、童顔に拍車がかかるぞ」
「わ、わかってるよ・・・。気にしてるの知ってるくせに」

俺の知らない話をして、二人は笑い合っている。
幼なじみ同士だし、積もる話もあるだろう。こうなる事はある程度予測していたので、俺は聞き役に徹する事にする。
・・・それにしても、片桐の奴、随分楽しそうだ。
普段口数が少ないわけじゃないが、ここまで饒舌だっただろうか。俺は初めて見る片桐の無防備な笑顔に、心がもやくつのを感じた。

俺が黙っているのを感じ取ったのか、片桐はすぐに話題を変えた。
気を使われているようで少し息苦しかったが、翔吾がやけに話を振ってくるので、何とか答えているうちにそれを感じる暇もなくなっていく。
こいつなりの気遣いなのだろうか。片桐が「いい人」と言うのも嘘ではないようだ。さっきからエスプレッソばっか飲んでるのはなんか気に食わないが。

他愛もない会話がしばらく続き、片桐がちょっとトイレと席を立った。
突然訪れた翔吾との2ショット。一瞬どうしようかと思ったがその心配をよそに、沈黙はほんの数秒で破られた。

「ここっていい所だね」
「そうか?東京のほうがいいだろ。・・・空気だけはいいかも知んねぇけど」
「はは、そんなことないよ。向こうはどこに行っても人だらけだから、こういう所はすごく落ち着くよ。こっちに着いて、あんまり人が見当たらないもんで驚いたよ。それに、このあたりは栄えている方みたいだけど、山が見えたのには感動したね。・・・黎夜がわざわざ戻ったのもわかる気がするなぁ」
「ふぅん」
(その山に住んでんのが俺なんだけど)
何か若干バカにされてるような気がしたが、聞き流す事にした。

「・・・まぁ、戻った理由は郷愁に駆られただけじゃないだろうけどね」
俺が聞いたのは翔吾の言う通りの理由だが、それ以外に何かあるのか?
気になったが食いつくのは少し躊躇われたので、メロンソーダを啜りながら次の言葉を待ってみる。不意に翔吾の口端が不敵に歪んだ。
「黎夜も可哀想に。半ば約束された道を外れてまで追いかけた想い人に裏切られるなんて。」

・・・こいつ何を言ってるんだ?
思いがけない台詞に思わず目を上げると、冷ややかな眼差しを向ける翔吾と目が合った。さっきまでの爽やかな笑顔は冷たい嘲りのそれに変わっている。

「う、裏切り?何の事だ?」
翔吾はクッと鼻で笑う。
「とぼける気かい?残念だけど知っているよ。君が黎夜を振った事」
「!な、何で!」
「僕と黎夜は友達だから知っててもおかしくはないだろう?・・・全く信じられないよ。どういう意図で黎夜の気持ちを踏み躙ったのか、はっきり聞かせてもらおうか。その為にこんな田舎まで来たんだからね」
俺の方が信じられん。片桐の奴、こいつに俺の事全部話してたのか。なるほど、俺に会いたがってたってのもそういう理由かよ。随分と友達想いなこった。
って、そんな暢気な事考えてる場合じゃない。

「ま、待てよ、それには深い、っていうかあんまり記憶にないんだけど(小声)、俺もあの時どうかして・・・」
「・・・?何を言ってるんだ?」
「や、だから、あいつがお前に何て言ったか知らねぇけど、俺には全然そんな気は無かったんだよ。流された、って言うか・・・」
「・・・・・・」
「・・・・うっ・・・」
翔吾は両手を顔の前で組み、黙って俺を睨みつけている。その目には明らかな軽蔑の色が見て取れた。
「幼さ故の過ちだった、とでも?」
「・・・そ、そんなもん、かな・・・」
幼さってよりは旅の魔力にやられたって方が合ってるような気もするが。
「・・・君は見た目通り軽い男なんだな。」
「んなっ!これは地毛だっ」
「黎夜が今どんなに傷ついているかわかるかい?わからないだろうね、単細胞生物の君には。それでも君と一緒にいたいが為に、必死で平気な振りをしてるんだ。僕には痛々しくて見ていられないよ」
「・・・・・・」
翔吾の言葉が胸の奥に深々と刺さっていく。
そんな、あいつはそこまで俺の事を?
「・・・黎夜は僕が貰う」
「・・・へっ?」
「・・・フッ。僕は黎夜が好きなんだよ。ずっと、友達としてじゃなく恋愛対象として黎夜を見て来た。その黎夜が好きな相手だから、君の事も多少は張り合いのある人間かと思っていたけど・・・見当違いだったみたいだ。こんな低知能で単細胞の無節操男だったとはね」
何だかものすごく頭に来る事を言われているが、翔吾の告白が衝撃的過ぎて返す言葉が見つからない。
「何だ、言い返す事も出来ないのか?見た目だけは立派にチンピラの癖に。更に臆病者と来たか」
「・・・なっ・・・臆病者って・・・」
「全く信じられないな。黎夜もこんなバカのどこに惚れたんだか」
「お前いい加減に・・・!!!!」

散々好き勝手まくし立てられて頭に血が昇り、つい手に力が入ってしまった。叩きつけたテーブルがバンッと派手な音を立てる。その時。

「どうしたの?」
突然の声に体がびくりと撥ねた。振り返ると、トイレから戻ってきた片桐が不安げに俺を見下ろしている。

「あぁ、おかえり黎夜。ちょっと虫がね」
すばやく暗黒オーラを収容した翔吾はそう言うと、わざとらしく何度も俺に視線を送ってきた。恩を売ったつもりか。
「何だ、良かった。・・・ケンカでもしてるのかと思っちゃったよ」
「はは、会って早々ケンカなんてする訳ないじゃないか、ねぇ?流紗君。黎夜がいない間も随分盛り上がったよね」
翔吾は俺に同意を求めるようににこやかに微笑みかけてきた。
「・・・あ、あぁ・・・」
さっきまで俺を罵倒していた口で、よくそんな事が言える。唖然とした俺はただ促されるまま返事をするしかなかった。
「えぇー、ずるいなぁ。もしかして僕邪魔者?」
むくれる片桐をみて翔吾は屈託なく笑っていたが、俺には邪悪な笑みに見えて仕方なかった。
・・・こいつ、とんだ腹黒野郎だ。

(くそっ、翔吾の奴!俺の事が気に入らないのはわかるが、何もあそこまで言う事ないだろ!)
俺を馬鹿にしてる時の、あの自信と蔑みに満ち溢れた目。不敵に吊り上げられた口元から次々と飛び出す虚言暴言。今は爽やか青少年の仮面を被っているが、あれがあいつの本性なのか・・・。
そう思った途端、背中をぞくりとしたものが走り抜けた。
片桐は騙されてる!!!!!!!!!
直感で、こんな腹黒仮面インテリ野郎に片桐を渡しちゃいけない、と思った。

「どうしたの?流紗くん。そんな怖い顔して」
俺は無意識のうちに翔吾を睨みつけていたらしい。驚いて隣を見ると片桐が心配げな顔で俺を見ていた。
「っ!え、あ・・・」
「大丈夫かい?さっき気分が悪いって言っていたよね。・・・黎夜、水持ってきてあげて」
「え、・・・うん」
またしても翔吾のお節介で、片桐は席を立っていった。
だがチャンス!
文句の一つでもぶつけてやろうと息を吸い込むが、翔吾は俺の先制を許してはくれなかった。

「ふぅ、図星を突かれたとはいえ、あれくらいの事ですぐ熱くなるなんて。本当に君は単純だね」
そう言ってうざやかに前髪をかき上げた。その仕草が癪に障る。
「悪かったな。生憎お前みたいな図太い神経は持ち合わせてねぇから」
「フッ。冷静沈着と言って欲しいね。」

相変わらず口の減らない野郎だ。
挑発には乗らないと決めていたが、興奮しているせいか今は感情を押さえ切れそうに無かった。

「・・・片桐はお前には渡さない」
一瞬翔吾の瞼がぴくりと動いた。
「・・・ん?」
「確かに俺はお前の言うとおり、臆病で後先考えられないバカだよ。・・・でもなぁ、上っ面だけ良くて性根腐りきってるお前よりマシだっ!!!!!!!!!」

「・・・ほう?随分な事を言ってくれるね」
そう言いながらも翔吾の顔に怒りの色は見えない。
「僕より君の方が、黎夜に相応しいと。そう言いたいんだな?」
「あ・・・」

怒りに任せて言ってしまったが、何だかんだで俺、翔吾に宣戦布告したことになってる?ちょっと待てよ。
片桐がこいつの毒牙にかかるのは阻止したいが、俺は別に片桐を好きなわけじゃ・・・。
うろたえる俺を見抜いたか、翔吾の目に鋭い光が宿っている。追い立てられるまま俺は返事をしてしまった。

「そ、そうだ」
「なら勝負をしよう」
「へっ!?」
「今日一日、黎夜を接待するんだ。そうだな・・・時間は8時まで。黎夜をより満足させた方の勝ちだ。それでどちらが黎夜に相応しいのか、はっきりさせようじゃないか。」
「はぁ!?せ、接待~?」
(満足って何だよ!つまりホストごっこってことか?しかも8時までって長ぇ!!人の都合も考えろっての!!!)
目を白黒させる俺に対して、翔吾はしたり顔でメガネを指で持ち上げる。
嫌だとは言わせない気だ。・・・いや、拒否した瞬間俺の負け確定か。

「それで、判定方法だが・・・、黎夜に判断を委ねては公平にならないからな。僕が決める」
「なっ!それこそ不公平じゃねーか!!!!!!!!」
「大丈夫だ。僕は自分に厳しいからね。客観的な判断はできるつもりだ」
そういう問題か?

「・・・・・・。」
「どうした、あれだけ自分が黎夜に相応しいと豪語しておいて、もう怖気づいたのかい?・・・まぁ、諦めるなら早い方がいいさ」
翔吾は俺を逃がすまいとしてか、わざと闘争心を煽るような言い方をしてくる。
くそ、俺はいつもこうだ。感情やその場の空気に流されてばかりで、行き着く先にはろくな事がない。
だけど、これも自分で蒔いた種だ。

「・・・わかったよ。やってやる。お前の好きにさせてたまるかっ!!!!!」
半ばやけくそで盛大に啖呵を切った俺を、これまた盛大に鼻で笑う翔吾。
不安は山盛りだったが、もう後戻りはできない。・・・何としてもこいつに勝って、化けの皮を引っぺがしてやる!!!!
せめて気圧されないよう、俺はありったけの力を込めて目の前の男を睨みつけた。

「はぁー、楽しかったねー」
片桐は「うめぢろうさん」の巨大ぬいぐるみを両手に抱え、上機嫌だ。

勝負開始から3時間経過。ゲーセンでの一回戦を終え、俺は早くも戦意喪失しかけていた。
翔吾はきっと勉強しか能がない、と甘く見ていたのが間違いだった。奴は異常にゲームが上手かった。
格ゲー、レース、音ゲー、シューティング・・・何をやっても俺はことごとく全敗。そして奴の両手の袋からあふれんばかりのUFOキャッチャーの戦利品。
(くっそ、あいつ実は毎日ゲーセン通いしてんじゃねーのか!?)

俺は片手に収まる戦利品と、うめぢろうゲットに費やした3000円を思い深い溜息をついた。
(CD代にするつもりだったのに・・・。・・・まぁ、取れただけ良しとするか・・・。)

「さて、次はどこに行く?」
「んー、そうだねー。この2階にカラオケあるけど・・・、」
カラオケか・・・。 ちらりと翔吾を見やると、挑発的な視線とぶつかった。
向こうは自信満々のようだ。けどな、俺はこう見えて実は歌にはちょっと自信があるんだ。・・・人前じゃ滅多に歌わないけど。
「・・・行こうぜ。この辺じゃそんくらいしか行く場所もねぇし」
(次は負けねぇ!)
俺は負けじと翔吾をきつく睨み返した。

翔吾に勝つのはもちろん重要だが、この勝負の目的は片桐をもてなす事だ。目の前の闘いに熱くなりすぎて奴への配慮を忘れてはいけない。
カラオケルームに入るなり、翔吾は片桐をソファーにエスコートし、荷物をさりげなく預かる。
抜かりなく且つそつのない翔吾の所作に、俺も慌てて片桐のグラスを手に取った。
「茶、持ってきてやるよ!」

一方の片桐は、俺達にやたらとヨイショされることを最初は不審がっていたが、今では特に気に留めていないようだ。むしろ、ファミレスにいた時よりずっと機嫌が良くなって、今もさり気なく俺にくっついて来てるし・・・こいつ明らかに浮かれてる。
接待なんてした事ないし、ほぼ翔吾の見よう見まねでやってきたが、俺も結構上手くやれてるんだろうか?ふと気が緩みそうになるが、審判は翔吾が下す事を思い出し気を引き締める。

「お前とカラオケ来るのって初めてだよな。何か歌うか?」
「えっ・・・うーん、そうだなぁ・・・、カラオケって久々だし・・・」
適当にデンモクをいじりながら片桐に問いかけてみると、翔吾が口を開いた。

「流紗君、最初に歌ったらどうだい?カラオケ好きだって言ってたよね」
(何?んな事お前には一言も言ってねぇぞ?)
「あっ・・・、僕も流紗くんの歌聴きたい(はぁと)」
翔吾に適当にでっちあげられてイラっとしたが、片桐に目を輝かせてそう言われては断る事もできない。
「わ、わかった」
重要なトップバッターを切らされることになってしまったが、俺の心は不思議と落ち着いていた。
(最初だし、ここは無難な曲にしとくか・・・、いや、そしたらまた翔吾の奴に嫌味言われるに決まってる。・・・大丈夫、この曲なら・・・)

「あ、LOCK-AX・・・」
モニターに表示されたアーティスト名に、片桐が反応を示した。
「お、片桐知ってんの?」
「うん!結構好き」
「ま、マジ?」
LOCK-AX(ロックアックス)・・・俺が敬愛している、ギターボーカル蒼夜とボーカル紅夜の二人からなるロックグループだ。今時珍しく、デビュー当初から正統派ロックを貫いている。二人とも実力派だが世間的にはあまり有名とは言えないし、世代的にも少し古いせいか、俺の周りでファンだという奴は見た事がない。
・・・なのにこんな近くに同志がいたなんて!
俺は俄然テンションが上がってしまった。今なら空も飛べる気がする。

たまたま視界に入った翔吾は、足を組んで優雅にコーヒーを啜っている。いかにも余裕綽々といった感じだ。
(そうしてられるのも今のうちだ!このカフェイン中毒!)

聞きなれた俺の十八番「pride of knights」のイントロが流れ始める。俺が立ち上がると、同時にモニターに採点モードの表示が出た。
(またお前か!)
翔吾の方を見ると、リモコンをかざしニヤついている。挑発のつもりだろうが、今の俺には何てことはない。軽くあしらってモニターに向き直した。

「すごーーーい!!96点!!!」
曲が終わり、モニターに映し出された数字は俺の自己ベストを易々と塗り替えるものだった。
奇跡だ・・・。いくら毎晩家族に文句言われながらも風呂場で歌ってたとはいえ、1曲目でこれって。
自分でも信じられなくて後ろを振り返って見ると、片桐が恍惚とした表情でスタンディングオベーションをしていた。
「流紗くん・・・かっこいい・・・」
「あ、ああ・・・ありがと」
平静を装いつつ席に戻っては見たものの、内心俺の心臓は飛び出しそうだった。顔が緩むのを抑え切れない。・・・この勝負、いける!

「凄いね流紗君。僕も負けていられないな」
相変わらず不快な薄笑いを貼り付けた翔吾が不意にデンモクを取る。
そしてモニターに映されるタイトルに俺は驚愕した。

「蒼き幻想の世界・・・だと・・・!?」

テンポはそれ程速くないが、複雑なリズムと高低音入り乱れたカオスなサビ。時代に埋もれた天才と呼ばれる蒼夜が作曲、メインボーカルをしているだけあり、LOCK-AX最高にして最難と言われる名曲だ。昔間垣とカラオケに来たときに無謀にも挑戦したが、案の定撃沈した。

「・・・・・・」
開いた口が塞がらない。
何だこの声量、正確な音程、完璧なビブラート。こいつは化け物なのか・・・?

「翔吾くんも相変わらず上手い・・・」
「ふっ、1曲目に歌う曲じゃないな」
恍惚とする片桐に、少し喉を抑えて苦笑いしてみせる翔吾。だが背後のモニターには、「100点」の文字が燦然と映し出されている。
俺はしばらくの間、呆然とそれを見つめる事しか出来なかった。

カラオケを出ると、すっかり外は暗くなっていた。
結局カラオケでもほぼ翔吾の独壇場で終わり、タイムリミットまで残り1時間半を切る所まで来ても、俺は未だ決定打を打てずにいる。

焦りはない。というより、既に俺のライフはゼロだった。
卑怯だ。こんな、こんな死角なしのサイボーグみたいな奴、まともに渡り合う事すら出来ない。あいつの自信たっぷりの態度は、俺を挑発するでも威圧するためのものでもなかったんだと、今頃気づいた。
それにまんまと乗せられて熱くなっていた俺は、あいつにどれだけ滑稽に思われていたことだろう。

「流紗君、お腹空かないかい」
「・・・いや・・・別に・・・」
もう翔吾の声を聞くのも顔を見るのも嫌だった。歩きながら話しかけられたが、俺は顔を上げることなく答える。翔吾は珍しく何の反応も示さずすぐ前に向き直った。

俺の少し前を並んで歩く片桐と翔吾。
大して離れていないはずなのに、その後ろ姿はとても遠いものに見えた。男同士に言うのは変だが、お似合い、という言葉が当てはまる。
不意に、翔吾の腕が片桐の肩に伸びた。

やめろ、と思う自分と、容認している自分がいる。

片桐と話している翔吾の横顔はとても穏やかで、俺に見せている腹黒さは微塵も感じられなかった。

片桐が翔吾にたぶらかされるのを阻止したかった、今思えばひどい妄想だ。
あいつはきっと片桐をたぶらかしたりなんてしない。俺なんかよりずっと片桐の事を大事にしてやれるはずだ。
何もかも完璧で、片桐の隣にいるに申し分ない。そう思っていたからこそ、あいつの片桐への想いを聞いた時俺は衝撃を受けた。・・・そして、焦った。
片桐は俺が好きだから・・・、翔吾に取られるのが、いや、片桐の気持ちが俺に向かなくなる事が嫌だったから。
こんな自惚れで勝手な自分につくづく嫌気がさす。

気がつくと、二人の姿が消えていた。
ふとすぐ横の建物を見上げると「大江戸屋」の看板と、階段を登っていく人影が見えた。
飯でも食うみたいだ。だが、俺は・・・。
しばらくその場に佇んでいたが、踵を返した。

「流紗!!!!!!!!!!!」
夜で人通りの少ないアーケード街に突如響き渡った大声。
驚いて振り返ると、翔吾が息を弾ませ立っていた。視線はしっかりと俺を捉えて。

「・・・まだ、勝負は終わっていないぞ・・・」
「・・・もう、俺には無理だ。わかったんだよ、あいつの側にいるべきなのは俺じゃないって」
「どうして・・・」
「お前、すごすぎるんだよ。俺じゃ一生かかったってお前には敵わない。・・・お前が羨ましいよ」
「お前は!!!!!!!!!!」

いきなり胸倉を掴みかかられた。
「お前は黎夜の何を見てたんだ!?あいつがお前の取ったぬいぐるみを片時も手放さないのを、さっきだって何度も立ち止まってお前を見ていたのを!!!!お前は何も気づかなかったのかっ!!!!!!」
「え・・・・・・」
感情を露にして怒鳴る翔吾。俺は初めて見る真剣な表情に言葉を失った。
・・・全然気づかなかった。

俺が黙っていると、我に返ったのか翔吾はわずかに顔をしかめ、俺の襟元から手を離した。

「・・・確かに君が僕に勝っている所なんて一つもないし、君が黎夜の恋人になるなんて分不相応極まりないと思っているよ。だけどね・・・それでも黎夜は君がいいんだよ。・・・僕が羨ましいだと?笑わせるな」

「・・・けど、俺は・・・、」
どうしたらいいのかわからなかった。そこまで俺の事を好いてくれる片桐に、俺は何をしてやれるだろう。いつだって自分の事で手一杯で、翔吾みたいに器用でもない俺なんて、きっとすぐに愛想つかされてしまうに決まってるのに。

「・・・もういい。所詮君の気持ちはその程度だったという事か」
「違う!」
咄嗟に否定した。
確かにきっかけは場の流れだったかも知れないが、俺はこいつに勝ちたいと本気で思っていた。片桐を守る為に。
「俺は・・・、俺は本気だった!だって、俺もあいつが・・・!」
今まで気づかないフリをして、逃げていた気持ち。言葉にするとそれは確かなものになった。
今になって気付くなんて遅すぎるとも思ったが、迷いが消えた分強くなれたような気がした。

翔吾のメガネが街灯の光を反射していて、表情を読めなくさせている。だが俺は、意を決して言った。

「頼む・・・、もう一度チャンスをくれ」
「断る」

即答。咄嗟にポケットに手を突っ込み携帯の時計を確認した。時間は7時45分。
「まだ時間はある!15分でもいい!それでお前に勝ってみせる!!!!」
勝算なんて全く無かったが、それでも、諦めたくはなかった。

「その必要はない」
冷たい翔吾の声。こうなったら土下座でも何でもしてやろうと地面に手を伸ばした。その時。

強い力で腕が引っ張られ、俺の意思とは逆の方向に体が傾く。

「おわっ!!」
バランスを崩しかけるが何とか持ちこたえた。訳が分からず顔を上げると、既にそこに翔吾の姿はなく、俺に背を向けて歩き出していた。
「バカな事してないで、さっさと来い!」

何とかお許しを頂いたみたいだ。安堵しつつも急いで翔吾の元に駆け寄る。

けど、どうしてわざわざ翔吾は俺にあんな事を言いに来たんだろう。放っておけば、自分の勝ちは確定していたはずなのに。
ただ単に試合放棄しようとする俺を咎めに来たなら、ファミレスの時のようにとことんまで貶せばいい。
なのに『片桐は俺がいい』だなんて、まるで自分には勝ち目がないみたいな言い方じゃないか?

「ん?どうした?」
「・・・いや、お前ってほんとわかんねぇ奴だと思って。俺を徹底的に潰すつもりだったんじゃないのか?なのにあんな真似するなんて、似合わないにも程があるぜ。」
わざと皮肉めかせて言っても、翔吾の顔は意外にも穏やかだった。

「ふっ・・・、君を潰すのは造作もない事だよ。けど、それじゃ駄目なのさ。言っただろう、黎夜が求めているのは君だと。・・・だから、君の気持ちを黎夜に向けさせる必要があった」
「…?どういう意味だ?お前、片桐の事が好きなんじゃ・・・」
「勿論好きだよ。友達として。」
翔吾は悪びれもなくにっこりと笑った。

頭をガツンとやられたような衝撃が走り、歩く足が止まった。・・・つまり、俺は騙されていた・・・のか?

「じゃ、じゃあ・・・勝負は・・・?」
「君を誘導するのに最も効果的かつ楽な方法だったってだけさ。あぁ、力を試すいい機会にもなったけどね」

(・・・試すって、どう見ても本気で潰しにかかってただろ!)
何はともあれ勝負は終わり、翔吾の本心が分かった以上片桐の身の安全は保証されたわけだ。体の力が抜けると同時に、今まで翔吾に負けまいと必死になっていた自分がバカらしく思えてきた。・・・全部こいつの仕立て上げた出来レースだったとは。

「そんな顔しないでくれよ。寧ろ君は僕に感謝すべきだと思うね。・・・君が本当の気持ちと向き合う事ができたのは、僕という存在があったからだろう?」
軽く笑うと、翔吾は再び歩き出した。俺も後に続きながら、その背中に問いかける。

「・・・お前、そんな事するためにわざわざ来たのか?会った事もない俺のために?」
「ふ、図に乗るなよ。君じゃない。大切な親友の為さ・・・」

俺の足は自然と進む速度を速めていた。
「流紗君。自分がしたことの責任は取れるんだろうな?」
大江戸屋の階段を勢いよく駆け上がる俺に、階下から声がかかった。
それに力強く応える。
「あぁ。今更聞くな!」

「流紗くん!!!!!!!!!!」
店の入り口が見えると、外で待っていたらしい片桐が駆け寄ってきた。
うめじろうさんをしっかり抱えている姿がまるで小さい子供みたいで、思わず顔が綻んでしまった。

「よかった・・・ちゃんと戻ってきてくれて・・・?どしたの?」
「いや、何でもない。それより、今まで色々とお前を振り回すようなことして・・・ほんと、ごめん」
「??????そんな事された覚えないけど・・・、僕は流紗くんが戻ってきてくれればそれでいいし・・・」
「片桐・・・」

思わず抱き締めそうになったその時。

「お前ら。見られてるぞ」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

翔吾の声ではっと顔を上げると、片桐の肩越しに店内で清算中の団体客と目が合った。
俺は片桐と、何故か翔吾まで引っ張ってその場から超ダッシュで逃げ出した。

その後は体力の続く限りマラソンし、気づけば早瀬の入り口付近まで来てしまっていた俺たちは、そこから一番近かった片桐の家に行く事になった。
道中絶え間ない翔吾の小言に精神を蝕まれながらやっとの思いで片桐家につき、食べそびれた晩飯にありつく。そして片桐ママの勧めでそのまま泊まることになった。

その夜は3人で遅くまでDVDを見たりゲームをしたり。さっきの件で少しだけ翔吾への見方が変わった俺だったが、相変わらず手加減しないわ口は凶器だわで、結局仲良くなるのは無理のようだった。

それでも、やっぱり別れの時は物寂しさを感じずにはいられない。
それだけ、こいつの存在が俺に与えた影響が大きかったって事だ。

「ほんとにもう行っちゃうの?せめてもう少しゆっくりして行けばいいのに・・・」
「ふふ、そのうちまた遊びに来るさ」
切符を買い終えた翔吾が俺に近づいてくる。そしておもむろに右手を差し出した。
「?」
「流紗君、昨日は楽しかったよ。ありがとう」
「えっ・・・」
こいつの口から「ありがとう」という言葉が出てくるなんて。呆気にとられていると、隣の片桐が腕を小突いてきたので慌てて自分も手を差し出す。
「お、俺も楽しかった・・・よ。・・・それに、お前には感謝してる」
言うのは恥ずかしかったが、きちんと伝えなければと思った。昨日の借りもあるし。
だが俺が言うと同時に翔吾がくつくつと笑い出した。

「おいっ!!!!!!!!!!!!!!」
「はっはははは・・・じゃあ、そろそろ行くよ。黎夜、流紗君と仲良くな」

「・・・・・・」

とびきり爽やかな笑顔とともに翔吾は改札を出て行った。
別れの言葉を言うのも忘れ、その背中を黙って見送る俺達。しばらくして見合わせた二人の顔は真っ赤になっていた。

あとがき→

最初の方にあった「旅の魔力にやられた」のくだりについて。修学旅行でるしやは黎ちゃんの押しに負けてキスしてしまい、流れで付き合う事になるが結局踏み切れずにるしやから関係を解消するとかいう前日譚があります

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