LOCK-AX(ロックアックス)を初めて知ったのは、小6の冬だった。
たまたま深夜の音楽番組でやっていたプロモーションビデオ特集、そこで画面に映されたとある人達に、俺の目はたちまち釘付けとなった。
「Hulieyer Loneliness(ユーライアロンリネス)」・・・流れている曲は孤独をテーマにしたものだった。廃城のような場所で、一人の女性が長い髪を振り乱しながら叫ぶように歌い、もう一人の男性はギターをかき鳴らしている。
二人とも溜息が出るくらい綺麗だったが、俺の心はとりわけ歌っている方の女性に激しく揺り動かされていた。
その晩は彼女の姿が頭から離れず、次の日速攻でCDショップに駆け込んだのは言うまでもない。
・・・そう、俺はあの瞬間から、恋に落ちていたんだ。
たちまち俺はLOCK-AXの虜になり、CDやDVD、雑誌など買える物は全て買いあさった。
といっても当時の俺の小遣い事情では月にCD1枚買うのが限度で、資金調達のため滅多にしない家の畑を手伝ったり、時には妹に借金したりもした。
俺が恋した「彼女」紅夜が、実は「彼」であることが判明したときはさすがにショックだったが、それでも一度火のついたハートは止められない。
知れば知るほど、LOCK-AXの存在は俺の中で大きく膨らんでいった。
メロディー、詞は勿論だし、何より素晴らしいのは声だ。蒼夜の安定した声が土台となって、紅夜の切なく表現力豊かな声と絡み合う、そして曲の世界はどこまでも無限に広がっていく。二人の織り成す物語は、そのまま俺の青春となった。今の俺があるのも、二人のお陰だといって過言じゃない。
俺の人生を変えた最高のロックバンド、そしてときめきをくれた人、紅夜。
今、あなた方に声を大にして言いたい、ありがとう―――。
「ねぇってば~~~~!!!!」
心地よい高揚感を突然の大声がぶち破る。
はっとして辺りを見回した。
・・・ここは教室?何故か俺は椅子の上に立っていて、正面に座っている黎夜は呆れ顔で俺を見上げている。
「・・・やーっと戻ってきた。一時間も語っちゃうなんて、ほんっとに好きなんだねー」
溜息と共に軽くむくれている黎夜に俺は焦り、慌てて椅子から飛び降りた。
「ご、ごめんごめん。・・・怒った?」
「怒ってない」
「いや怒ってるだろ!ごめんって。・・・その、好きって言っても憧れみたいなもんだよ。ほら、相手は芸能人だし」
5分に及ぶ必死のフォローが功を奏したか、何とか黎夜は俺の方を向いてくれるようになった。
そして、今までの不機嫌はどこに行ったか突拍子もない事を言い出す。
「・・・ねぇ。紅夜に会ってみたい?」
「え!」
勿論!!!!!!!!と思わず口が滑りそうになるが、さっきの失敗を思い出し言葉を飲み込む。
そんな俺を安心させるかのように、黎夜はにっと笑った。
「お父さんがね、実は紅夜の知り合いなんだ。・・・頼めば会わせて貰えるかも」
・・・そして一週間後。
俺は今、東京へ向かう飛行機の中にいる。
どうにも、まだ夢を見ているような気がしてならない。
親戚での集まりの為に東京へ行くという片桐家一行に、何故か俺も同行させてもらっている。しかも交通費はタダで。
黎夜は東京行きという名目に乗じて、俺を紅夜に会わせてくれるというのだ。
黎夜の父親が紅夜の知り合いっていうだけでもまだ信じられないのに、まさか会いに行く事にまでなるなんて。
ライブで一度だけ、本物の紅夜を見たことがある。
会場は熱気で溢れ返っていたが、そこで俺が最初に感じたのは熱狂でも感動でもなく、畏怖だった。
媒体を通さずに見る紅夜は寒気がする程美しくそして無機質で、男でも女でも、この世のものですらない人間を超越した生物のように見えた。
極稀に深夜番組で見るときもそうだが、紅夜は曲が流れていない時は無表情で殆ど喋らない。
人形のようにただ虚空を見つめる姿はまるでそこに存在していないようなのに、ステージからビリビリと感じる圧倒的な存在感。
それは魔力となって俺の脳を支配し、一瞬でも視線を反らす事を許さない。
体が自分のものじゃなくなるような不思議な感覚を思い出し、俺は目を閉じた。
そして、ふと、バカみたいな考えが頭に浮かぶ。
―紅夜は本当に俺と同じ人間なんだろうか?
誰かの知り合いという事は、紅夜は確かに人と、そして社会と繋がっているということだ。歌う事はあくまで仕事で、それ以外はその辺の人と同じように呼吸して、食って、出して、寝ている。
当たり前のことだけれど、そうやって普通に生きている紅夜の姿が俺には全く想像できないのだ。
そうこうしている内に機体が動き出した。
・・・あぁ、こうなったらもう行くしかない。覚悟を決めろ俺。
2時間のフライトは、瞑想していたらあっという間に過ぎてしまった。
「着いたねー」「あ、あぁ」
多分人生初の東京進出。
本当なら田舎者丸出しで「うぉー!!来たぁーーー!!!!」とかやりたいところだが、今はとてもそんな開放的な気分になれそうもない。
空港のロビーですれ違う尋常じゃない数の人が、皆カボチャに見える。・・・尋常じゃないのは俺の頭なんだろうが、まともに見えるのは横ではしゃぐ黎夜と、少し前を歩く黎夜の母親、耀子さんだけだった。
「パパが空港まで迎えに来てくれてるはずなんだけどねぇ」
そう言いながら耀子さんは携帯を取り出し、電話をかけ始めた。
(パ、パパって、紅夜の知り合いだって言うあのお父上か!)
その2文字に激しく動揺した俺は、訳の分からない言葉を発してしまう。
「れっ・・・!!ぱ、ぱぱッ!!!!!!」「ちょっと大丈夫?落ち着いてよ。・・・紅夜に会えるのはもう少し先だから・・・ね?」
笑いを堪えながら肩を叩かれても、俺の魂はどこか遠い所へ行ってしまっている。
黎夜は父と紅夜の関係や、いつどこで会うか等の具体的な話はしてくれていないが、会わせてもらう為にはまず、父に気に入られる事が絶対条件だろう。
ここで失礼を働いては、速攻で追い返されるのはもちろん、往復の交通費も請求されかねない。
・・・俺は会った事もない黎夜の父親と脳内で対談を開始した。
「あ、いたいた!こっちよー!」
いつの間にか外に出ていて、耀子さんが俺達に向かって手招きする先には、白のレクサスが停まっていた。その横には、父であろう人影。
つ、ついに来たか!
ファーストコンタクトに向けて心の準備をしようとするのも束の間、黎夜に引きずられ俺は父の前に放り出されてしまう。
「だっ!!!!おっ、お初にお目にかかりますですっ!!!!ぼっ、わ、私はあい・・・!!??!!」
目の前で繰り広げられている映画さながらのラブシーンに、俺は地に伏したまま固まった。
「あなた、会いたかったわ」「俺もだよ、耀子」
俺の存在など無いかのように熱い口付けを交わす二人。
・・・すごい、初めて見た。
思わず見入っていると、いきなり首根っこを掴まれる。
「あーぁ、始まっちゃった。・・・多分5分はあの調子だから、先に乗っちゃお」
黎夜に半ば押し込まれるようにして、後部座席に乗り込んだ。
「す、すごいな、お前の両親・・・」「そう?昔っからああだからねー。普通って感じだよ」
素直な感想を口にしたが、黎夜の反応はあっさりしたものだった。
片桐家ではあれが普通、なのか?
我が家の普通は親父がお袋に引っ叩かれる光景だ。かといって仲が悪いわけではないが、うちの親があんな事をしてる姿なんて想像できない。・・・というか、あんまりしたくない。
・・・そうか、黎夜があの手の事にやけに積極的なのは、あの親あってか。
俺は一人で納得していた。・・・その時、ふと横で何かが蠢く気配を感じる。
(ん・・・?)
「どわぁあああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
車内を揺るがす絶叫。
なんと、俺の横にツインテールの、5.6歳くらいの幼女が座っているっ!!!!!
「ことみ!!!来てたんだ!!!!」
おののく俺の横腹からひょっこり顔を出す黎夜。その姿を見つけると、幼女の表情がぱぁっと輝いた。
「れーーーや!!!!!!!」
「ことみ、黎夜が来るの楽しみにしてたからね。迎えに行くって朝から張り切ってたんだよ。」
それと同時に、さっきまで乳繰り合っていた夫婦が車に乗り込んできた。
運転席から声をかけてきた男性とまともに目が合い、俺の背筋はアルミ定規を突っ込まれるが如く伸びた。
反射的に声を出そうとするが、さっきの絶叫の余韻でひりつく喉がそれを阻止する。
「紹介するね。この子がいとこのことみ。そして、僕の父親の真澄。で、この人が友達の相庭流紗くん。」
固まっている俺をフォローしてくれたのか、黎夜が全員を手際よく紹介してくれる。頼れる恋人の声で体の呪縛が解けた俺は、咄嗟にさっきの脳内シミュレーションを思い出した。
「あ!相庭流紗ですっ!!!こここの度はお招きいただきああああり」
「はははっ、そんなに緊張しなくていいよ。黎夜の父の真澄です。いつも愚息がお世話になっています」
にこやかにそう言って父上様、真澄さんは深々と頭を下げる。
シミュレーションでは全く出なかった行動パターンに、俺はただただ面食らった。
「いっいえっ!!!こちらこそ黎夜君には・・・」「今日も息子の我がままを聞いて来てくれたんだってね。本当にありがとう。・・・何もお構いできないけど、楽しんで行ってね」
「は、はぁ・・・」
真澄さんはどこまでも腰が低かった。
俺も釣られてぺこぺこ頭を下げ、その様子を母子は笑って見ている。
・・・けど、会話に一瞬違和感を覚えたのは、気のせいだろうか?
やがて耀子さんの催促でお辞儀合戦は終わり、車はどこかへ向けて出発した。
俺はぐったりとシートに体を預け、肺中の息を吐き出す。
・・・何とか、無事に挨拶は出来たみたいだ。
真澄さん、ずっと笑ってたし、多分機嫌を損ねるような事はしていないだろう。
それにしても、思ったよりいい人で本当に良かった。
黎夜から得ていた父の情報は、建築関係の仕事で部長だったか?とにかく、結構いい位についているらしい事だけだったので、もっと固くて怖そうな人を想像していた。
けど実際のご本人は、手っ取り早く言えば「まさに黎夜の父」って感じだ。
色白で、歳を感じさせないすらっとした長身。優しげな目元は細身なフレームのメガネでうまく引き締められていて、黎夜が大人になったらこうなるんだろうなと思えた。
ほっとしたのも束の間、俺は真澄さんとの会話で感じた違和感の正体に気づいた。
『息子の我がままで来てくれた』って、どういう事だろう?
黎夜は、俺を紅夜に会わせる為に知り合いである真澄さんに取り計らってくれたはずで、我がままを言ってるのは寧ろ俺の方なのに。
「・・・なぁ、親父さんに、ちゃんと言ってあるんだよな?・・・会えるんだよな?」
隣の黎夜に耳打ちしてみると、ニッと笑ってピースサインをしてみせた。
ふぅ、と、また俺はシートに埋まる。
「・・・・・・」
落ち着いたのも束の間。今度は、反対隣からひしひしと感じる視線に気づいてしまう。
薄目でそーっと流し見ようとしたが、バレた。
「・・・・・・」
零れんばかりの瞳で俺を見上げている幼女。
どうにもやり切れなくなって、引きつった笑顔を作ってみたが、反応はない。
「ことみ、流紗くんだよ。僕の友達」
「・・・るしあ?」
「あ、じゃなくて、や。る・し・や。」
黎夜が日本語教室を始めたが、幼女、ことみは無邪気に一文字違いの俺の名前を連呼するばかりだった。
「ははっ・・・るしあでいいよ、るしあで」
こみ上げてくる変な気持ちを抑えきれずにそう言うと、ことみはピタリと俺の方を見た。
「るしぁーーーーーーーーー!」
背景に星でも飛んでそうな満面の笑顔で引っつかれて、俺の中の何かが爆発しそうになる。
(違う!!!俺はロリコンじゃない!!!!!!)
「あらぁ、ことみ、流紗君が気に入ったみたいねぇ。ふふふ」
それを見て暢気に笑う片桐夫婦。
両側から文字通り引っ張りだこ状態の俺は、どこでもいいから早く着いてくれと祈るばかりだった。
幼女と恋人に揉みくちゃにされているうちに、車は石造りの壁で囲まれたどこかの建物の駐車場らしき場所に入り込んだ。
高そうな車が3台並ぶ隣に停車し、俺はやっと狭い空間から開放される。
「・・・なぁ、ここ、どこ?」
夫妻に導かれるまま、建物内の階段を登りながら黎夜に問いかけた。
「僕んちだよ。八江沢に来るまでは、ここで暮らしてたんだ」
「い、家???!!!」
そこは家というより、市民ホールか何かのようだった。全面コンクリートの階段を上りきると扉が現れ、そこを潜ると色調は一転、明るく開放的な空間に出た。
白を基調とした内装、高く広がる天井は吹き抜けになっていて、洒落た照明器具が俺を出迎える。
多分玄関なんだろうが、エントランスホールと言ったほうがしっくり来るかもしれない。
「す、すげ・・・」
「さぁさ、上がって。まずは皆に紹介しなくちゃね。それに、お腹もすいたでしょ」
耀子さんに促されおずおずと靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。と、いつの間にか姿を消していた黎夜が、血相を変えて飛んできた。
「ごめん、流紗くん!!!ちょっとここで待ってて!!!!」
俺を玄関の外まで押しやると、黎夜はそう言い残しダッシュで戻って行く。
“絶対動いちゃダメだよ!”と釘まで刺して。
(・・・一体どうしたんだ?)
不審に思いながらも、とりあえず言われるがままその場に立ち尽くしていた。八江沢の比ではないが、季節は晩秋。吹きつける風は冷たい。
しばらくじっとしていると、わずかに玄関のドアが開き、ことみが顔を出した。
「うー・・・。」
相変わらず破壊力MAXの上目遣いで、俺のジャンパーの袖を引っ張ってくる。
「え、と・・・、・・・遊びたいのか?」
ことみに意図せず顔芸を見せていると、今度は耀子さんがやってきた。
「流紗君こんな所にいたの?風邪引いちゃうわよ!さー、早くいらっしゃい」
「あ、けど黎夜が・・・」「いいからいいから。皆待ってるのよ」
朗らかな笑顔に似つかわしくない腕力に抗う事は出来ず、俺はされるがまま屋内に引き戻されていった。
通された部屋はこれまた息を呑むほど広く、豪華なリビングだった。
海外製のものだろうか、高そうな家具やインテリアがすっきりとセンス良く配置されており、巨大なガラス張りの一角からは庭の景色が一望できる。
(俺、ここに泊まれるんだよな・・・)
それで更に紅夜にも会えるなんて、最高にツイてる。こんな幸運もしかしたら二度とないかも知れない。
黎夜の言いつけの事などすっかり忘れてニヤニヤしていると、後ろから声がかかった。
「さ、流紗君こっち!」
振り返ると、大きなダイニングテーブルを囲んで、真澄さんと耀子さんとことみ、あとは初めて見る男女が座っている。
そう言えば、皆に紹介するとか言っていたっけ。また全身に緊張が走る。
俺はロボットのような足取りで向かい、勧められるまま耀子さんの隣の椅子に座った。
「やだ、ホントにかっこいい!黎ちゃんの言ったとおりだわ」「でしょー?八江沢の自慢なんだから」
「こらこら、会って早々何だお前ら。まずは挨拶だろ、挨拶」
「そうだねぇ。じゃ俺が。・・・流紗君、弟の慶一と妻の美咲さんだ。ことみは2人の娘だよ」
真澄さんが紹介すると2人はそれぞれ「よろしく」と軽く頭を下げ、俺も何とか自己紹介をした。
「あ、相庭流紗です!今日からお世話になります!よろしくお願いします!!」
挨拶が済むと、女性2人と慶一さんは食事の準備をするべく席を立った。テーブルには瞬く間に次々と料理が並べられていく。
少し落ち着いてきた俺は、新たに出会った片桐一族の情報を復習してみた。今日明日はここに泊めてもらうわけだし、きちんと整理しておかなければ。
・・・あのよく動いているのが、黎夜の叔父の慶一さんか。
兄の真澄さんとは対照的にワイルドな雰囲気で、体格はいいし肌も黒い。見た目も性格も豪快だ。ことみは間違いなく美人の奥さん似だろう。
その美咲さんは妊娠8ヶ月らしく、食事の準備をしようとした時も耀子さん達に止められていたな。
とりあえずはこれで片桐家の全員と会ったのだろうか。もっと大々的に親戚が集まるのかと思っていたが、意外に少なくて良かった。皆いい人そうだし。
・・・それにしても、黎夜はどこに行ったんだろう。
「あのー・・・、黎夜は?」
思い切って真澄さんに聞いてみた。
「ん?さっき2階に行ったよ。洸司を起こしに行ったのかな」「洸司?」
「あぁ、まだ言ってなかったね。もう一人、下に弟がいるんだよ。昨日遅くまで飲んでたし、寝起きも悪いからそっとしておけって言ったのになぁ」
「そ、そうなんですか・・・」
まだ会っていない住人がいたのか。
苦笑する真澄さんに釣られて笑っていると、上からドタバタと物音が聞こえた。
ドカッ、バタバタッ、ドターーーーーーーーーン!!!!!
次第に音は激しくなっていく。・・・今、何か割れなかったか?
「洸ちゃん起きたみたいね」
美咲さんは笑っているが、そんなのんびりとしていられる状況じゃない気が・・・。
「うぁぁあああぁぁぁあ!!!アッタマいてぇ~~~~!!!!!!」
ドアを蹴破る勢いで、それはいきなり飛び込んできた。
(ななな何だぁ!???!!!!)
身を竦ませたまま目だけを動かし恐る恐る様子を伺う。
「あらー洸司君久しぶりねぇー」「おはよう洸ちゃん、はいお水。」
洸ちゃんは美咲さんからペットボトルを掠め取ると、俺の正面の席にドッカリと座り、グビグビ水を飲み始めた。
・・・うわぁ。寝起きというか、まるでホームレスだ。
伸び放題でぐっちゃぐちゃの髪、くたくたのランニングシャツとトランクス、無精ヒゲ、おまけに猫背。
スタイリッシュでモダンなこの片桐邸にまるで似つかわしくない人物。家族にこんな人がいたなんて・・・。
豪邸に住むホームレスとの邂逅に戦々恐々としていると、またもドタバタと誰かが駆け込んでくる気配。
(今度は何だ!?)
「うわぁあああぁぁああ~~~!!!ひどいよぉお!!!叔父さんのバカぁぁ!!!!!!」
半べその黎夜だった。
「あぁ~~~!?何で自分ちに居て文句言われなきゃなんねーーんだぁ!!!??」
「今日は出かけててって頼んでたじゃないかぁ!!!何潰れてんだよーー!!!」「るせェ!!こっちにも付き合いってもんがあんだよ!!!!しょーがねぇだろっ!!!!!」
突然やって来た大嵐に、俺は成すすべもなく閉口するばかりだった。
だが片桐家の人々は慣れているのか、耀子さんに至っては「相変わらずにぎやかねぇー」と全く動じる様子もない。
やがて痺れを切らした慶一さんの一喝で嵐は収束し、黎夜はべそをかいたまま俺の隣に座った。
「最悪だぁ・・・。」
「・・・も、もしかして俺のせい?勝手に入っちまったし・・・」「ううん・・・流紗くんは悪くないよ・・・」
がっくりと項垂れている黎夜は気になったが、それにしてもこの洸ちゃんて人、何処かで見たことがあるような・・・。
気のせいかと思いながらも、仏頂面で水を飲む様子を盗み見ていたら、目が合ってしまった。
鋭い眼光に射抜かれ、どきりと心臓が跳ねる。
「ぶぁはははははははっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺を見て突然ゲラゲラと笑い出す洸ちゃん。
「!!!!!!!!!????????」
「誰かと思えば翔吾じゃねーーかぁ!!!!どーしたよその頭?随分はっちゃけてんなぁ!!!!!!!!」
「違うからッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!」
すかさず黎夜が突っ込む。
「え・・・えと・・・、黎夜の友達の相庭流紗です・・・。」
二人のコントじみたやり取りを傍目に見つつ、隙を見て何とか名乗る。
洸ちゃ・・・洸司さんは、しばらく俺を観察するように眺めた後、思いもよらない言葉を発した。
「・・・はぁーーん。お前が黎夜の言ってた、俺のファンって野郎か。」
・・・え?ファン?
意味が分からず黎夜を見ると、両手で頭を抱えたまま「ごめん」と繰り返している。
目の前で不敵な笑みを浮かべている男と、隣の黎夜を交互に見ていると、不意に脳裏にある人物の姿が浮かんだ。
・・・あの目元のほくろに、前髪の赤メッシュ。それに、目鼻立ちもなんとなく似ているような・・・?
ま、ま、まさか・・・??????
「この人が・・・紅夜だよ・・・」
「・・・・・・・・・。・・・へ、うぇええええええッッッッ???!!!??!?!?!」
あまりの衝撃のデカさに、思考が追いつかない。俺はまた壊れたロボットと化した。
「え、嘘?こっ!紅夜?マジ?・・・へ?????こっ!!!??こーーーや???!!!!!」
「こんなハズじゃなかったのにぃいいいい~~~~!!!!!!!!!!」
「かっかっかっか!!!どーだ坊主!!感動したかぁ?俺がLOCK-AXの紅夜様だぜェ!!!!」
「叔父さん!!!その格好で流紗くんに絡まないでッッッ!!!!!!!!!!」
「はいはーい、騒ぐのはそのくらいにして、皆お昼にしましょー」
信じられない、いや信じたくない。嘘だ。
紅夜にヒゲなんか生えてないし、あんなしゃがれ声じゃない。髪だってさらさらのストレートで・・・
周りの音がどこか遠くに聞こえる。崩れていく紅夜像と遠のく意識を留める気力は、俺にはもうなかった。
目を開けるとそこは、見覚えのない部屋のベッドの中だった。
「あ!気がついた?」
俺が体を起こす気配を察したか、すぐに黎夜が飛んでくる。
「あれ・・・、ここ、どこ?」「僕の部屋だよ。いきなり倒れちゃったの、覚えてない?」
言われて、俺の思考は段々とクリアになっていく。
・・・そうだ。黎夜の家に来て、家族に会って、食事しようとしてたらなんかスゴイ人が来て、そいつは黎夜の叔父さんで、そんでもって俺の愛する紅・・・
途端に脳裏に蘇ったあのホームレスの姿に、思わず悲鳴が上がった。
「あ・・・あ、ぁ・・・、お、俺、紅夜に会った・・・んだよな・・・」
「うん・・・。・・・ショックだったでしょ?叔父さん、家じゃとことんだらしなくってさ。・・・本当は、こんな形で会わせる予定じゃなかったんだけど・・・。」
黎夜はしおれた様子で謝罪の言葉を口にすると、目を伏せた。
紅夜と会うことを具に話していなかった辺り、こいつなりに俺を驚かそうと色々画策していたんだろう。
それを思うと、少しだけ胸が痛むと同時に、目の前の黎夜が愛おしく見えた。
「いや・・・、謝ることねぇよ。確かにかなり衝撃的ではあったけど、お前のお陰で俺、紅夜に会えたわけだろ。なのに気絶しちまうなんてホント失礼だし、俺の方こそ謝らないと」
黎夜はぱっと顔を上げた。
「ね、紅夜の事、嫌いになってない?」「何で?なる訳ないよ。」
プライベートの姿は見なかった事にしておこう。
「じゃ、じゃあ、これから出かけない?・・・叔父さん、流紗くんに悪い事したからお詫びしたいんだって」
「お、お詫びだなんてそんな・・・」「いいのいいの、来て欲しいって言ってたから、ね?行こ!」
どうにも黎夜は立ち直りが早い。楽観的なのは血筋なんだろうか?
1階に下りると、家族は出掛けたのか誰もいなかった。テーブルに残された2人分の食事で軽く腹ごしらえしたあと、俺達は家を出た。
電車を乗り継ぎ、黎夜の後をついて人ごみの中をひたすら歩く。
相変わらず、何処に向かっているか尋ねても明確な返事は返ってこない。
「着いてからのお楽しみ」という言葉に今は素直に従うことにして、俺は華やかで未知に溢れた都会の海に身を委ねた。
「ついた。ここだよ」
日も沈みかけた頃、ビルや飲食店がひしめき合う一帯で黎夜が立ち止まる。指差す先に目を凝らすと、建物のほんの隙間に、奇妙な電飾で彩られたビルの入り口らしき場所があった。
その前には同じように不気味な電飾が瞬く小さな看板があり、おどろおどろしい字体で“JACK”とだけ書かれている。
その異様な雰囲気に俺は得体の知れない危険を感じた。
「・・・な、何かヤバくね?ここ・・・」「大丈夫だよ、さ、行こ」
黎夜は立ちすくむ俺にとびきりの笑顔を向け、手を引いて歩き出す。覚悟を決めて、俺は魔の入り口へと突入した。
妖しげな落書きが壁一面に書かれた階段を上ると、次第に一定のリズムを刻んだ重低音が聞こえてくる。
その先の扉を開けると、何重にも重なった音が一気に飛び出してきた。
入ってみるとそこは意外に広く、小さなカウンターに数人の若者が座っている。アングラな外見とは裏腹に、中は一見普通のバーのようだった。
更に奥の方には小さな人だかりが出来ていて、その先ではギターを手に歌う人が見える。
「・・・ライブハウス?」「そう!・・・ちょっと待っててね」
黎夜は入り口近くにいたガラの悪そうな男に駆け寄っていき、しばらくして戻ってきた。
「オッケー!行こ!」
俺の手を取り、薄暗い店内の奥へとずんずん進んでいく。
ま、まさかまさか。ここにLOCK-AXが?
・・・いや、ライブ映像でもこんな小さくて座席もないような会場でやっているのは見たことがないし、第一本当に来るならこんなに客が居ないわけがない。
数人の若者で盛り上がるステージのまん前でそう思いながらも、俺の胸はわずかな期待で高鳴っていた。握り締めた拳が異常なほどに汗ばんでいる。
・・・やがて演奏が終わり、明かりの消えたステージの前にいるのは俺達だけになった。
「次はーーー、本日のシークレットゲスト、LOCK-AXーーーー!!!!!」
店内に響き渡る声と共に、ステージがカッと照らされる。後ろのほうでどよめきが起こり、数人がダッシュで駆けつけてきた。
すぐ目の前―ライトの下に照らし出されたその人を、俺はよく知っている。
朝目を覚ませば一番に目に入るし、毎日声を聞いて、よく変わる髪形も服装も全て記憶している。
誰よりも身近な存在なのに、決して触れられない、平面の世界でしか会うことの出来なかった人。
紅夜が、立体的な形を持ってそこに立っていた。
紅夜は虚ろな瞳で観客達を一瞥すると、ゆっくりと右手を上げた。それを合図にズドンと爆発の如くはじき出された音達が、俺の全身を振るわせる。
0.01秒でわかった。・・・このイントロは、pride of knights!!!!
そしてその爆音さえも切り裂いて強く、けれど甘く響く声。
数秒前までの虚ろな瞳は命を吹き込まれたように紅く煌き、全身から溢れ出す生気を燃やして紅夜は歌っていた。
・・・これだ。これが俺の紅夜だ。
あの時と同じ、魂が吸い出されるような強烈なエネルギーに脳が痺れ、息をするのさえ忘れそうになる。
普段の重厚な衣装とは違いGパンとTシャツ姿だったが、そんなのは紅夜の神がかった美しさを曇らすのに何の効果もない。
気づけばフロアは超満員で、尋常じゃない熱気と密度で蒸し風呂のようだった。人の波に押しつぶされそうになりながらも、俺はLOCK-AXの、紅夜の魔力にただ酔いしれていた。
不意に紅い瞳とかち合った気がする。多分気のせいじゃない、紅夜が俺を見てる・・・・・・今、ウインクした!!???!
「ひぃ~~~~、すごかったね~。僕、途中で逃げちゃったよ」
俺の特に好きな曲ばかりで構成された、人生で最も短く感じたであろう30分。さっきまで猛烈な熱狂の渦と化していたフロアは、すっかりもぬけの殻となっていた。
全身が痛いし、よく見ると靴や服がところどころボロボロになっている。けれど、俺は未だ解けない魔力の余韻に心地よく浸っていた。
「流紗くーん?大丈夫?」「あ・・・、あぁ・・・。なんかまだ、夢みたいで・・・」
ぼーっとしている俺を見て、それほど服の乱れがない黎夜はくすりと笑った。
「うん、まだ夢は続いてるよ。」
黎夜はまたも俺の手を取ると、ステージに背を向けてずんずん歩き出した。
「え?え??今度はどこ行くんだ??」「ふっふっふっ」
なすがままバーエリアまでやって来ると、最初に黎夜が話しかけていたガラの悪い男が近づいてきた。どうやら黎夜の知り合いだったらしく、見かけに似合わない気さくな調子で俺達をカウンター内に引き入れると、奥まった所にある古びたドアの鍵を開けた。
「右がアックスの楽屋だからー」「ありがとーレンさん」
俺達二人を残し、ドアが閉まる。
「がっ、が・・・楽屋???!!!行くのかっ??!!!」「うん。終わったら来いって言ってたし」
なんてこった。あんな至近距離で紅夜を拝めただけでも死ねるくらい幸せだったのに、不可侵の聖域楽屋にまで入れるだと!?
湧き上がる興奮と緊張で勝手に体が震えてしまう。暗い通路を先導する黎夜の背中が、妙に頼もしく見えた。
「おっじゃましまぁーす!」
やがて辿りついた先のドアを、黎夜は躊躇なく開け放つ。
おいっ!!まだ心の準備が・・・!
「おっ、いらっしゃ~い」
部屋の中から聞こえた間延びした声。低くてよく通るそれは、紅夜のと同じくらい俺には馴染み深いもので、反射的に足が竦む。
近づいてきた声の主は、LOCK-AXのもう一人のボーカリスト、蒼夜だった。
堂々としたオーラ、恐ろしく整った顔に柔らかさを加える垂れた目尻。ついさっきまでステージで見ていたものと何ら変わりないはずなのに、いざ目の前にしてしまったらやはり平常心ではいられなかった。
「そっ!!そーやさんっっ・・・!!!!!!!」
「おぉ?黎夜の連れってこの子な?どーも、蒼夜でーす。中に紅夜もいるしとりあえず入りなよ」
男でもときめいてしまうようなスマイルと共に言うと、蒼夜は入り口を塞ぐ長身をさっと退かせた。
「お疲れ様ー。流紗くん連れて来たよー」
黎夜が部屋に飛び込んでいく。部屋の奥に、髪の長い後姿が見えた。椅子に腰掛けたまま、ゆっくりと振り向く。
・・・こ、紅夜だぁあああ!!!!!!!!!!!
「あ・・・、あ・・・・・・・ぁ・・・」
その場で口をパクパクさせたままなかなか部屋に踏み込めない俺を、黎夜が見かねて引きずり入れる。
ずるずると自分の前に晒しだされる俺を、紅夜は無表情で見つめていた。
「流紗・・・・・・」「はっ!!!!!!!!」
幻聴か?紅夜様が俺の名を口にしている?
消え入りそうな細い声だったが、その甘さはまるで子守唄のように聞こえた。
「どうだった・・・・・・俺の歌・・・・・・」
「えっあっもう!!!最高です!!!!死んでもいいです!!!!!こっここっ紅夜さっ・・・」
信じられない。手の届かない雲の上の存在だった紅夜と俺、会話してる。
会ったら伝えようと決めていた事がたくさんあるのに、熱いものがこみ上げてきてうまく言葉にならない。
そっと何かが髪に触れた。滲む視界に映った光景に、俺は危うく気を失いそうになる。
「泣かないで・・・・・・」
紅夜が俺に触ってるぅううううううううううゥウウウウウ?????!!!!!!!!!
「おっ・・・、俺っ・・・、紅夜さんの・・・っ、全部が好きですっ!!めちゃくちゃ好きなんです!!あなたは俺にとって神なんです・・・全てが最高で、あなたの存在が、ぐすっ、いつも俺に希望をくれていました・・・。LOCK-AXに・・・、ひっく、紅夜さんに会えて、俺、本当に・・・良かったです・・・」
無我夢中で喋っているうちに、とんでもない事を口走っていた。だがそう思った時には既に遅く、俺の言葉と鼻水は止まらない。・・・これじゃ愛の告白じゃねーか!!!しかも臭すぎる!!!!
いくらファンでも、男相手にこんな事言われたら普通に引くよな。あぁ・・・やっちまった俺・・・。
しかし紅夜の表情は相変わらずニュートラルなままで、なおも虚ろに俺を見つめている。
そして、やがてその目がゆっくりと細められ、唇が動いた。
「ありがとう・・・・・・」
紅夜が笑っている。
俺がファンになって5年。アックスの歴史からすると全然短いが、過去のライブや出演番組、貴重映像とされるPVなんかもほとんど見てきたし、オタクだと自負してる。そんな俺でも一度も見たことのなかった紅夜の笑顔。ここは天国なのかと本気で疑ってしまう程に綺麗だ。
それが今、自分だけに向けられている。
あぁ・・・。これが夢なら一生醒めないでくれ。
髪を優しく撫でる確かな感触を感じながら、俺の魂は天高く昇っていった・・・。
・・・はずだった。
「くひゃひゃひゃひゃはぁ~~~!!!!!!!!!!!」
小鬼のような哄笑によって、昇りかけていた魂は一気に地面に叩き落され、それと共に意識も現実へと引き戻された。
「嬉しーことばっか言ってくれやがって、このクソ坊主!!!!!!」
今までそっと頭に触れていたその手で、グシャグシャと力いっぱい髪をかき乱される。
突然の出来事に涙も引っ込んでしまった。
「あ?え?こ、紅夜さん????????????????」
目の前に居るのは確かに紅夜だ。・・・けれど、美しさも滲み出るカリスマ性も何も変わっていないのに、雰囲気がまるで違う。
ニンマリと笑う男の目を見て、俺は今の今まで忘れていた事実を思い出さざるを得なくなった。
「叔父さん!あんまり素出さないでよ!せっかくいいとこ見せたんだから」
そうだ。昼間に出会ったあのガサツで小汚い黎夜の叔父。見た目は衝撃的でも、あの人は確かに紅夜だったんだ。
「るせェなー、最初に一番ヒデェの見てんだから、もう何見ても驚きゃしねーだろ。俺の全部が好きなら、素の俺も好きになれってんだ。」
「すげー、開き直ってる」
蒼夜が、高みの見物者らしく暢気に笑った。
素・・・、これが素の紅夜なんだ。
一般的に知られてる神々しい紅夜とはかけ離れた、人間らしい姿。・・・いや、俺が勝手に神様みたいなのを想像してただけだし、紅夜にとっては迷惑でしかないに違いない。
どっちにしても雲の上の人である事に変わりはないが、紅夜がとても身近で親しみやすい人物に見えてきた。
「あのっ、こっ、紅夜さんっ」「あ?」
「あの・・・。昼間はすみませんでした!せっかく会って頂いたのに、俺すごく失礼な事してしまって。本当にすみませんでした」
俺は頭を深く下げた。
「やー、ファンならあれ見たら皆倒れると思うよ。気にしなくていいって」「そうそう、大体約束忘れて家に居る叔父さんが悪いんだし」
二人の横槍を紅夜は丸めたパンフレットで制した。
そして、じっくりと俺を見据えて口を開く。
「・・・で?実際の俺はこんなんだった訳だが、お前はまだファンでいてくれんの?」
「もっ勿論ですっ!!!やっぱり紅夜さんは綺麗だしかっこいいし、アーティストとしても素晴らしいと思います。俺にとってはやっぱり特別な人です!!!!」
俺はしっかりと紅夜の紅い瞳を見て言い切った。
手足は無様に震えているが、こんな一生に一度あるかもわからない憧れの人との面会。無碍にするわけにはいかなかった。
さっきまでの神秘的な雰囲気は王者の風格に取って代わり、紅夜は足を組んで妖しい笑みを浮かべている。
・・・あぁ、こういう紅夜もいいかも・・・。
「だってよぉーー!!!よかったな黎夜!!!!」
紅夜は脇に居た黎夜をガシっと引き寄せて豪快に言った。
「わわわっ」「何言ってんだよ、お前が一番喜んでる癖に」「るせェよ」
和気藹々(なのか?)とじゃれ合う叔父と甥を見ていると、蒼夜がそっと耳打ちしてきた。
「本当はライブは明日の予定だったんだけど、洸司がどうしても今日飛び入りでやるって言い出してさ。大事なファンが一人減るかもしれないって、すげー焦ってたよ。プライベートでファンだって子に会うの初めてだったから舞い上がりすぎたって」「宗!!!!いらん事言ってんじゃねぇ!!!!!!!」
・・・そうだったのか。俺だけの為にそこまで無理してくれてたなんて、どんだけファン想いなんだ。やっぱり紅夜様って最高だ。
「や、こいつがビービー泣いてうるせぇから・・・」「紅夜さん・・・」
小脇に抱えた黎夜の頭を揺さぶる紅夜に、俺は感謝と尊敬の意を出来る限り詰め込んで言った。
「ありがとうございます!!!俺、LOCK-AXに、あなたに一生ついていきますっ!!!!」
「・・・おーし、ついて来やがれ」「はいっ!!!!!!!!!!」
あの日、あの時、LOCK-AXに出会えてよかった。そして、あの時感じた運命めいた直感は間違ってなかったんだと今確信する。こんな最高の人達が、どうして音楽業界の頂点に立っていないんだろう。
「いやー、ほんとありがたい事だわ。けど、ちょっとくらいは俺の事も気にして欲しいかな」
「あっ!?すっすみません!!!勿論蒼夜さんもすごいと思ってます!」「はは、ありがと」
やがて、誰かが部屋をノックする音で俺は夢から醒めた。
どうやらこの後、打ち上げが控えているらしい。
来るかと誘われたが、さすがにそこまで厚かましい真似はできず、俺と黎夜は帰ることにした。
「明石に送らせっかぁー?」「そうだな。俺下まで連れてくわ」
マネージャーが俺達を送ってくれるようだ。俺は慌てて紅夜に向き直り、深く頭を下げて改めて感謝の意を伝えた。そして、去り際、少しだけ心に引っかかっていた事を思い切って尋ねてみる。
「あの・・・、どうしてステージやテレビでは喋らないんですか?」
「ん?・・・あぁそういう風に言われてんだよ。事務所の意向」
何でもない風に言われ、俺は妙に納得した。芸能人なんだし、キャラ作りなんて、よく考えれば普通の事だ。
けれど、あの独特の無機質な雰囲気は意図的に出せるものなんだろうか?・・・つくづく、プロってすごいんだなと俺は思った。
ボロボロのエレベーターに乗り込む。黎夜は少し不機嫌そうだった。理由はたやすく想像がつく。
「えーっと、さっきのはだなぁ・・・」「いいよ、今日だけは多めに見てあげる。大ファンだったんだもんね」
付き添いで来てくれた蒼夜が、目を細めて俺達を見ているのに気がついた。
「やっぱ君らって、そういう関係なんだ?」「え!!!」
ストレートに図星を突かれ、俺はどきりとして反射的に取り繕おうと言葉を探す。
「あ、大丈夫。別に偏見とかないからさ。・・・ってか、俺も経験あるしね。黎夜は知ってると思うけど」
え?経験?
予想もしていなかった反応に俺は戸惑い、ただ蒼夜の飄々とした横顔を見つめた。
「・・・宗一郎さん、辛くないんですか?」
黎夜がぼつりと言う。
「辛くはないよ。俺はあいつが歌ってるとこが好きだし、あいつにとっての一番は歌であって欲しいと思ってる。・・・それを今も側で見ていられるんだから、寧ろ幸せだ」
え?え?何だかよくわからないけど、この人が言う「あいつ」って、もしかして・・・?
ふと頭に過ぎった危険な想像が、俺の中でもんもんと膨らんでいく。喉から出かけていた俺の問いかけを遮るように、蒼夜は笑いかけた。
「流紗君。さっき洸司が喋らないのは事務所の意向だって言ってたけど、半分は嘘だよ」
「へっ?????」
「あいつ、デビューかかった大事なライブであがっちまってMCすっ飛ばしてさー。・・・けど、その無口なのが逆に受けて俺ら今こうして歌えてるってわけ。・・・あいつ、ああ見えて意外とヤワなんだよなー」
色々な事を一度に言われて、俺の頭はうまく情報を処理しきれていなかった。
ヤワ?あの尊大で豪快な紅夜が?じゃああの神秘的な姿は、ただあがってるだけだったのか??????
確かにあの人は黙ってるのが絵になるけど、その事実はちょっと意外すぎるっっ!!!
「あ。俺が言ったってことは内緒ね?」
魅惑的なウィンクを投げかけられ、俺の思考はますます泥沼にはまっていく。
俺の知らないLOCK-AXの姿を、また一つ垣間見たような気がした。
夢のように過ぎ去った東京での2日間は本当にあっという間で、明日の昼にはもうここを離れなければならない。何だか眠るのがもったいなくて、俺は黎夜のベッドに寝転びながらぐるぐるとここ2日間の出来事を思い返していた。
昨日はLOCK-AXのライブに行って、その後楽屋にまで押しかけて、話まで出来ちゃったんだよな。そして今日は片桐一家と何故か翔吾も加わって皆で夢の国ネズミーランド。洸司さんは昨日また遅くまで打ち上げで飲んでたみたいだったけど、俺と黎夜が東京にいる最後の日っていうことでほとんど不眠で来てくれた。
「ったく何だってこんなガキみてぇなとこにしたんだか」とかぶつぶつ言いながらも、結構楽しんでたみたいだった。サングラスにスカジャンでことみを肩車してる紅夜なんて、滅多に見れるもんじゃないけど、やっぱり綺麗だったなぁ・・・。
目の裏に浮かんだ姿にうっとりしていると、不意にベッドが大きくしなった。
「・・・まーた紅夜の事考えてる」「へ?え?」
驚いて目を開けると、黎夜がふてくされ顔で俺を見下ろしていた。
「か、考えてないって」「ふん、鼻の下伸びてたもん。・・・家にいるときもずーっと叔父さんの事見てるし」
そっけなく言うと、黎夜は俺から逃げるようにベッドから降りてしまった。
どうやら本格的に怒ってるらしい。
・・・確かにここ2日間の俺は、予想以上に身近にいる紅夜に夢中で、黎夜のことをあまり気にかけていなかった。
最初は父親の知り合いとしか聞いていなかったし、一応有名人だし会わせてもらうっていってもほんの数分で終わりくらいにしか思っていなかったものが、まさか黎夜の家族で更に一つ屋根の下で過ごす事になるなんて、夢にも思っちゃいなくて。
そんな俺の気持ちを黎夜も分かってくれていたようで、せっせと叔父との仲介役をしたりしてくれていたから、すっかりそれに甘えてしまっていた。
とはいえ、少し調子に乗りすぎたみたいだ。参ったな。
とりあえず謝り倒すしかないと俺は体を起こし、黎夜にじりじりと擦り寄った。
黎夜は完全に怒ると無視パターンに入る。こういう静かに怒りを燃やすタイプは今まで俺の周りにいなかったせいで正直どう対処していいのかわからない。
頼むからこれ以上こじらせる事にはなりませんように。そう願いながら俺は黎夜の肩をそっとつついてみる。
「なぁ、怒ってる?」
・・・・・・。
叩き落とされるのを覚悟していたが、反応がない。
もう一回つっつく。
「ごめんって。謝るから機嫌直せよ」
やっぱり反応がない。
俺の存在抹消したのか?これは本格的にヤバイと思って肩を掴もうとする。が、その肩が小刻みに震えているのがわかった。
ま、まさか。泣いてる?それはそれでヤバイ。
「おい、黎夜」
軽く揺さぶると、ささやかに腕を払いのける動作をされる。だが俺は気にせず壁を作っている腕を掴み、黎夜を引き寄せて両腕で抱え込んだ。
「泣くなって。ほんとにごめん」
うわぁうわぁ。
慰めようとして抱きしめたはいいが、俺は思いっきり動揺していた。
黎夜の顔面を思い切り胸に押し付けているせいで、自分の心臓が飛び出しそうなくらい脈打ってるのがはっきりわかる。意識すると顔から火が噴出しそうだった。黎夜に絶対聞こえてるよこれ。
けど、泣いてる相手にはこれが一番効くとマンガで読んだし、何より俺にはこれしか思いつかない。
とにかく落ち着いてほしい一心で両腕に力を込めていると、黎夜の体の震えが止まっている事に気づいた。
「黎夜?」
そっと髪を撫でてみると、いきなり黎夜がヌッと顔を上げた。
「わっ!!!」
驚いて反射的に飛びのく。黎夜は腰を抜かしたように固まっている俺を見てケタケタと笑っている。
その顔には泣いていた様子は微塵もなく、悪戯っぽい笑みを満面に浮かべていた。
くそ!騙された!!
「嘘泣きかよ!卑怯な!」
恥ずかしくて思わず叫ぶ。
「何が卑怯だよ。僕の事ほっといて叔父さんにデレデレしてる流紗くんが悪いんじゃない。仕返しだよ」
真顔で言うと黎夜はツンとそっぽを向く。ふてぶてしい物言いにムカっと来たが、俺は文句を飲み込んだ。確かに元はといえば俺が悪いんだ。ここは黎夜の機嫌を取っておかないと。
宥める言葉をかけようとするが、不意に黎夜の横顔が曇った。
「・・・ねぇ、やっぱり、叔父さんみたいな大人の方がいい?」
「・・・え?」
「流紗くんは見た目と違って子供っぽいからさ、そっちの方がいいのかなって思っちゃったんだ。・・・紅夜の事、本気で好きだったんだもんね」
何つーこじつけだ。まさか本気で言ってる訳じゃないよな?黎夜にとっては洸司さんは身内かも知れないが、俺にとっては芸能人の紅夜だ。いくらなんでも相手にされる訳ないだろ。
真面目に返すのもアホらしいが、ここは俺の誠意が試されているらしい。俺は黎夜に近づき、深呼吸して言った。
「そんな訳あるか。紅夜も好きだけど、俺にとって紅夜は、尊敬とか崇拝とかそういうレベルの人なんだよ。だから付き合いたいとか、そういう風に見たことは一度もない。第一お前がいるのに、そんな事考える訳ないだろ?・・・俺確かにガキだし、気が回らなくて誤解させてばっかだけど、お前といるのが当たり前だと思ってるし」
「・・・・・・。」
じっと俺を見つめる黎夜の頬に赤みが差している。もう一息!
「・・・俺が本気で好きなのは、お前だよ。黎夜」
そう言った瞬間、待ってましたとばかりに抱きつかれた。
「流紗くーん!!僕も好きーーー!!!!」
「うわっっっ!!!!!」
「ごめんね?女々しい事しちゃって。・・・でも、ちょっとだけかまって欲しくて」
「・・・いや、俺の方こそごめんな。忘れてたわけじゃないんだけどさ」
「じゃぁ、これで仲直りってことにしよ」
黎夜は顔を赤らめて俺を見上げた。潤んだ目と、僅かに開いた唇。何を求めているのかは瞬時に分かって心臓が跳ね上がったが、俺は躊躇うことなく唇を落とした。
「・・・んふふふ・・・」
触れ合って数秒。俺の体は床に引き倒され、上にのしかかった黎夜は猛烈なキス攻撃を仕掛けてきた。
「んっ、・・・っ、ちょっ!・・・っおいっ!!れ・・・っ」
「んふぅ~~~、流紗くぅん、っ、だいすきぃ」
母乳を吸う子犬かと思うくらいに首筋やら唇やらメチャクチャに吸い付かれ、挙句服の中にまで手を突っ込まれる。
「ちょ!!!!タンマ!待て!!!待てって!!!!!!」
「やぁ~~だよぉ~・・・」
「なんか!!なんかいる!!!!!」
「・・・へ?」
俺は震える指で部屋のドアを指した。
僅かに開いたドアの隙間から、何かが顔を出しているんだ。・・・インコ?どこかで見たような、黄緑色の奇妙な物体だった。
「・・・ことみ?」
そうだ。あれは、ことみが持っているぬいぐるみだ。
黎夜が訝しげに呟くと、インコはピコピコと頭を上下させた。
「ヤァ、オタノシミノヨウダネ」
インコが喋った。
・・・明らかにことみの声ではない。インコの物真似なのか、異様で機械的な高音。
「・・・・・・」
唖然としてインコを見つめる俺と黎夜。するとまたインコが動いた。
「・・・ピィピィ」
「・・・おぢさぁああああぁぁぁん!!!!!!!!!!!!!!」
低く唸りながら火山が噴火する勢いでインコに突進する黎夜。それと同時にかかかっ、という高笑いと共に何者かがドアの向こうから走り去っていく気配があった。
(・・・洸司さん、意外に子供っぽい事するんだな・・・)
黎夜とイチャついているところを見られたことに動揺するでもなく、俺は一人開け放たれたドアをぼーっと見つめていた。
そんなこんなで嵐のような夢のような俺の東京紀行は終わりを告げた。
2日振りの故郷は風の冷たさ以外は何も変わっておらず、少し都会の賑やかさを恋しく思うも、俺はいつもと何も変わらない日常へと引き戻されていく。
瞬く間に冬は訪れ、流れるように過ぎ去っていく日々の中で少しずつ高揚感も収まっていったが、それでもライブの日に見た紅夜の姿を思い浮かべると、あの時の感動と興奮が瞬時に甦り俺は一人ニヤけてしまうのだった。
紅夜と過ごした夢のような日々を繰り返し反芻して幸福に浸る、そんな毎日が過ぎていった。
「はぁ~~~・・・」
先月、春から始まる全国ツアーで、LOCK-AXがA県に上陸することが発表された。
しかも何と開催場所は撫牛市。(八江沢の隣市ね)俺が3年前に初めてライブに行ったのと同じ会場だ。
こんな千載一遇のチャンス・・・何が何でもモノにしなきゃならないのに、不運にも俺はチケットの先行予約を外してしまった。まだ一般販売というチャンスがあるにはあるが、正直取れる確立はかなり低い。
俺は机の上の音楽雑誌を眺め、何度目かわからない溜息をついた。
「ちっくしょおぉ・・・!紅夜が・・・紅夜が来るってのに・・・!!!」
悔しさのあまり雑誌に突っ伏し、ページをぐしゃぐしゃに掻き毟る。
ペチ。
その時何かが頭に当たって、俺はばっと顔を上げた。
「・・・?」
ひらりと落ちてきた茶封筒には、やたら迫力のある文字で「TO ROSHIYA」と書かれている。・・・いや多分RUSHIYAと書いたつもりなんだろうが、どう見てもUがOになっていた。
「・・・何これ?」
「ふっふー。ある人からのプレゼント。裏見てみて」
ニコニコと笑う黎夜の言葉に釣られ封筒を裏返してみる。
そこには、よく目に馴染んだ紅夜のサインが書かれていた。
【おしまい】
あとがき→
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