あたしの名前は田辺しず代。ピッチピチ(死)の17歳!
現在青春真っ盛り!・・・なんてことはなく、勉強にバイトに日々細々と忙しく過ごしています。イケメン彼氏が出来るわけでもなく、こうして夏休み最終日もフルタイムでガッツリシフトに入っているのでした。
・・・でもいいの!週末しかシフトに入れないあたしにとって、夏休みは稼ぎ時!
制服に着替えたら、下ろした髪をネットでまとめ、ショートボブのウィッグをかぶる。色気のかけらもないメガネをはずし、コンタクトを入れる。普段はしない化粧もちょっとだけして、この毛虫のようなつけまつげをつける。
こうすると、自分でも別人に見えるくらい見た目が変わる。そりゃそうだ、普段と真逆にしてるんだから。
この姿を見てあたしだと気づく人はまずいないはず。おまけにここマスタードーナツハピネス店は、某高の最寄り駅から電車で1時間もかかる上、休日でも大して混み合わない小さな店。知ってる人が来る確立はかなり低いし、仮に来た時の防衛策として、この変装をしているのだ。
たかがドーナツ屋のバイトでここまでするのは、某高の校則でバイトは厳禁、発覚次第問答無用で即退学となっているから。厳しいようだけど、これはハッタリでもなんでもなく、現に年に何人か退学者が出ているみたい。
なんでこんな危険を冒してまであたしが働いているかというと・・・それは、ある夢のためなのだ。
さー、今日もがんばろう!あたしは気合を入れ、更衣室を出た。
ショボめの駅ビルの中にあるとは言っても、やっぱり夏休み中ともあればそれなりにお客さんは来る。夕方のラッシュが終わって一段落した頃・・・、唐突にあたしの中のイケメンセンサーが反応を示した。
これは強い!イケメンどこー!?キョロキョロと店内を見回してみると、いた!茶髪高身長甘マスクなイケメンがやってきた。
見た感じお一人様っぽい。でもあんなイケメンが一人でドーナツ買いに来るなんて、どうせ彼女へのお土産とかなんだろうなぁ。そんな事を考えながら、ドーナツを選ぶイケメンを鑑賞していた。なんとなく、どこかで見たことがあるようなないような・・・
「これとこれとこれ下さい」
「はい、3点でお会計・・・」
イケメンと真正面から対峙したとき、あたしはあまりの衝撃に言葉を失ってしまった。イケメンすぎた・・・ってのもあるけど、それだけじゃない。
その人が、同じクラスのエビ君だったからだ。
「!!!」
エビ君こと蛯原隼。去年のミスコン男子の部で3年生を差し置いていきなりトップの座に輝いた男。容姿、勉強、運動どれをとっても完璧な超優等生でありながら女好きということでも有名で、その口説きテクニックには歌舞伎町ホストも真っ青らしい。某高史上最強の女泣かせとまで言われ、某高最大のファンクラブ会員数を誇る超イケメンなのだ。
突然の某高関係者の登場(+イケメン)で目の前がホワイトアウトしそうになったけど、あたしはなんとか持ちこたえた。・・・大丈夫、この変装だし、お仕事モードに徹すればまずバレることはない!実際今までも数人これでやりすごしてるんだから!
「お会計2100円です!」
思いっきりの営業スマイルとともに言った。エビ君は気づいてないみたいで特別な反応はなく、普通に会計を済ませ、ドーナツの箱を受け取った。
けれど・・・帰り際、あたしは耳を疑ってしまった。
低くて小さいけど、それは確かに聞こえた。
「がんばってね」って・・・!
「た、田辺ちゃん!?どしたの!?」
足元が崩れる感じっていうのがよく分かった。思わず倒れそうになったけど、バイト仲間のみっちゃんがそれを防いでくれた。
「や・・・ヤバイ。バレた・・・バレたバレたぁああ」
「ぐ、具合でも悪いの?ちょっと早いけどもうピークも過ぎたし、上がらしてもらいなよ」
そうしてみっちゃんの機転によりその日は早退させてもらった。
バイトを始めてはや3ヶ月。だいぶ仕事にも慣れてきて、楽しむ余裕も出てきた矢先の事だった。
ほとんど眠れないまま新学期の朝を迎えた。
どうしよう。学校にいかなきゃ。けど、もうあたしのバイトが学校サイドにバレちゃってたら・・・
と、とにかく!行くしかない・・・覚悟を決めなきゃ・・・・
「おはよう!久しぶりね」
学校の最寄駅につくと、葵ちゃんがやってきた。
葵ちゃんは、去年同じクラスになったのをきっかけに仲良くなった、一番の友達。今年も運よく同じクラスになれて、毎日ここで待ち合わせして一緒に登校しているのだ。
「あ・・・あおいぢゃあん・・・」
「!?ど、どうしたの!?」
歩きながら、あたしは昨日起きた事を涙交じりに説明した。
「そう・・・だったの。でもきっと大丈夫よ、蛯原さんはバラしたりする人じゃないと思う」
葵ちゃんは慰めるように笑ってそう言った。けれども、あたしは素直にそう思うことは出来なかった。エビ君を信用するには、あたしは彼のことを知らなすぎる。
エビ君は完璧そうに見えるけど、一方で悪い噂もある。女癖が悪くて、何又もかけてるだとか、ストーカー化した刺されそうになったこともあるとかないとか・・・。
あたしが浮かない顔をしていたせいか、さらに葵ちゃんは言った。
「それに、しず代ちゃんとは結構話す仲でしょ?ボウリングの時仲良くなったんじゃない?」
「な!なななってないよ!うん全然大した話なんてしてないし!」
前に一度エビ君たちのグループで遊んだ事があった。その時あたしは恐れ多くもエビ君とペアを組んでボウリングをしたんだけども・・・男の子と話すのは大の苦手で終始パニックだった。当然話なんてできるわけない。
「そう?私にはそうは見えなかったけど・・・、とにかく、そんなしず代ちゃんの事バラす様な事はしないよ。バイトがバレたらどうなるか蛯原さんだって知ってると思うし・・・」
「そう・・・かなぁ」
ちょっとだけ気持ちが上向きになったような気がするけれども、学校に近づくにつれて再び下降していき・・・
「葵ちゃん、あたしが退学になっても友達でいてね」
校門の前でそう言ったあたしに葵ちゃんは苦笑いを返した。
不審者のように辺りを警戒しながら学校内を進む。先生とすれ違うたびに心臓が口から出そうになった。まるで地雷原を横断しているみたいな気分になってくる。教室まであと数メートル・・・
「おーい、田辺!」
ぎゃぁあああああああ!!
とは声に出なかったものの、あたしは凍りついた。ついにあたしもここまでか・・・。
「おい!」
声の主、化田が背後からやってきた。何でよりによって化学教師の化田なの?こういうのって普通担任とか、生徒指導とかじゃあ・・・
「どうしたー!シャツが出てるじゃないか!シャキっとせいシャキッと!!」
「は、はひ!しゅみません!」
あわててはみ出たシャツをスカートに突っ込むと、化田は胸焼けしそうな笑顔で頷き歩き去っていった。
「なんなのもう!寿命縮んだ!」
「でも、よかったじゃない。やっぱりバレてないんだよ」
そうみたいだけど・・・、でも、バレるのも時間の問題かもしれないし・・・。
命からがら教室にたどり着いた。見慣れたクラスメイト達の姿が目に飛び込んでくる。その中に・・・いた。
窓際の一番後ろの席で、エビ君は数人の男子達と談笑していた。
「あひっ!」
目も合ってないのに思わず声が出てしまった。あの中であたしの噂でもしてるんじゃないか・・・そう考えたら嫌な汗が出てきて、あたしは速攻で自分の席についた。
「おーはよ!」
後ろのほうでガンリキ君の声が聞こえた。葵ちゃんの席に来たんだろう。なんか楽しそうに談笑してる。そしてその中にはエビ君の声も・・・
「んでーこれは田辺ちゃんの・・・おーい、たーなべちゃーん」
ん?なんか呼ばれた?
「田辺ちゃん!カモン!」
幻聴じゃなーい!むむむ無理ですあたしの存在は忘れてくださーい!!けど耳を塞いでもガンリキくんの声は遮断されない!
なんかもう耐え切れなくなって、あたしは教室を飛び出していた。
・・・が。
「なんだ?もうすぐHR始まるぞ。戻りなさい」
すぐ担任の谷先生と鉢合わせし、あたしの逃亡は叶わなかった。
生きた心地のしないHRは何事もなく終わり、始業式に向かうために皆廊下へ移動を始めた。
し、始業式って!もしかしてそこで公開処刑!?そうか・・・今まで何事もなかったのは全てこのためだったのね。まさにあたしにとっては死行式・・・
「行かないの?皆並んでるよ」
はっとすると、確かに教室には誰もいなくなっていた。そそくさと席を立つと・・・戸口に立っている人物、今あたしに声を掛けてきた―がにっこりと微笑んだ。
「あああああ!!!」
なんとエビ君だった。
「しーっ」
大声をあげたあたしにエビ君は一瞬うろたえたけど、すぐに余裕を取り戻してしーのポーズをして見せた。
そしてちょっと声を潜めて、
「昨日の事だけど、誰にも言ってないし言うつもりもないから。安心して」
とどめにニッコリと笑った。
「え・・・!ほ、ほんとに!?」
「うん。こう見えて口は堅いんだよ。あ、でもその代わり・・・」
へ!?何!?
「今日の昼、一緒にランチしよう。バイトしてた理由聞きたいし」
「はぁ!!!??」
何でそんな事・・・と言いかけたけど、エビ君はあたしの返事なんかまるで聞いていない。
「さ、早く。置いてかれるよ」
ちゃっかり肩を抱かれて連れて行かれたような気がするけど、あたしの意識ここにあらず。
何で・・・?何で!?てか昼!?
その言葉ばかりが頭の中をグルグル回ってて、退学を免れた事に安心する暇なんてなかった。
そしてしばらく自問自答を続けた結果、ふとある考えに至った。
これは脅迫だ。
バイトをバラすことをダシにして、あたしの給料全部ふんだくる気なんだ。
エビ君ちは結構リッチらしいけど、お金はあるに越した事はないもんね。そうだよなぁ、そうでもなきゃあたしなんかに声掛けてくるはずなんてないし。
どうしよう・・・。こんな事になるくらいなら退学のほうがマシかも!退学になったらなったでフリーターになって、貯金がたまったら留学すればいいし!
なんか考えが飛躍してきていたが、それは現実逃避に他ならなかった。でもどうすればいいか考えてみた所で、何も解決策なんか浮かばない。どうしよう。行かないと絶対ばらされるし、行ったら脅迫・・・あたしは一体どうすればいいの!?
葵ちゃんに相談すると、全く警戒することもなく「行ってきたら?」と言われた。
「けど!あたし絶対脅されるんだよ!?ただのランチなわけないじゃん!」
「そう?私はただのランチだと思うけど・・・。だって蛯原さんってすごくフェミニストじゃない」
「そんなのわかんないよ。いい顔して近づいてきて地獄に突き落とす奴かも知れないじゃない。実際あの人に人生狂わされたっていう女の子いっぱいいるんだよ」
そこまで言うと葵ちゃんはククッと笑った。
「しず代ちゃん、神経質になりすぎよ。絶対そんな事ないから」
「わ、笑いごとじゃないよ・・・」
「わかった。私もこっそりついて行って、もし危なくなったらすぐ助けを呼ぶから。それなら安心でしょ」
確かにそれなら安心かも。うん、やっぱり葵ちゃんはあたしの良き理解者だ。
こうして運命の昼休みが訪れた。
けれどあたしは机から動けない。あれから何も接触はないし、どうすればいいのかわからない。
自分から行くべきなのか・・・いやもしかして、からかわれただけなのかな?そう思っていると。
「しーずよちゃん♪」
き、来た・・・!ギギギ・・・と擬音がしそうな感じで振り向くと、
「行こっか」
国ひとつでも滅びそうな破壊力のスマイルとともにその男は言った。
もう、どこにでも付いていきます・・・(ハート)と危うくなりかけたけど、何とか踏みとどまった。
「ご飯持ってきた?」
「いっ、いえ・・・」
あのエビくんと並んで歩いている。それだけで道行く人がみんな振り返る。気がする。
違うのよ!あたしはドナドナされる子牛なのよ!決してデートとかそんなんじゃないんだから!
「んじゃ買ってこっか?何がいい?」
「へ?は?」
無数の文字が頭の中を飛び交っている。これぞパニック状態。満足に言葉も発せないでいると、エビ君はふらっといなくなり、やがて袋を提げて戻ってきた。
「じゃ行こう」
いちいちうっとりするような笑顔を向けてくるこの王子様。でも陥落しそうになるたび自分に言い聞かせる。“これもあたしの警戒心を解く作戦のうち”だと。そう思わなきゃとっくにあたしは堕ちてただろう。
1階の購買に寄ったあと、また階段を上り、教室がある2階も過ぎ4階まで来た。
一体どこに連れてかれるんだろう?ランチの定番といったら外か学食か教室か屋上だけど、この4階にはそのどれもなくて、あるのは美術室とか化学室とかの特別教室だけだったはず。
人気のないところでじっくり責め立てる気なんだ・・・。いつの間にか感じていたちょっとした同伴気分はどこかに吹き飛んでいて、再び恐怖が襲ってきた。
やがて“第二化学準備室”の前で立ち止まり、エビ君はポケットから出した鍵でドアを解錠した。
・・・なに?ここ。あたしにとっては意識して見るのは初めての場所だった。授業で使うのは第一化学室だけだし、第二はほとんど使われてなかったと思う。それにここ化学室のある一帯は廊下から少し奥まった所にあるから、存在自体知らないって人もいるんじゃないかと思う。
入り口のドアの窓には、黒いカーテンかなにかが引かれていて中の様子は見えない。怪しい。怪しすぎる。
っていうか何で鍵持ってるの!?
「はい、どうぞ」
エビくんは紳士的な笑みを浮かべてエスコートしてきた。
こんな怪しいとこに先に入れっての!?と尻込みしたのもほんの一瞬で、中を見た瞬間、あたしは自分から足を踏み入れていた。
「え・・・?なに、これ」
中は想像以上に明るかった。準備室なんて暗くてホコリくさい印象はそこには一切なく、むしろ学校の中であることが信じられないような内装だった。
そこにあるのはソファーとテレビと、小さなカフェテーブル。準備室にありそうなものは全然見当たらない。唯一備品っぽいものは薬品棚だけど、そこにも薬の類は一切なく、代わりにお菓子やら紅茶やらが綺麗にディスプレイされていた。準備室だけあってこじんまりとはしているけれど、一見すると隠れ家的カフェって感じだった。
「俺の秘密の場所だよ」
エビ君はそういうとあたしをテーブルにつくように勧め、奥のカーテンで仕切られた所に行った。あっちにまだなんかあんの!?周りをキョロキョロしていると、やがてカーテンの向こうから声がかかる。
「コーヒーと紅茶どっちがいい?あ、オレンジジュースもあるけど」
「ひぇ!?ここコーヒー」
普段コーヒーなんて飲まないのにテンパってとりあえずそう言ってしまった。あーぁ。
しばらくして、いい匂いとともにエビ君は戻ってきた。持ってきたティーセットはこれまたこじゃれていて、わざわざどこかから買ってきたとしか思えないものだ。
「お待たせー。んじゃ食べよっか。どれがいい?レタスサンドと卵と・・・」
エビ君は向かい側に座り、袋から取り出したパンをいくつかあたしに差し出した。何でもいいです。
「てっていうか・・・お、お金!自分の分はちゃんと払うから!」
「え?いいよそんなの」
「でででで」
「気にしないで。俺が誘ったんだし」
くぅううう!
なんか、ホストに貢いじゃう人の気持ちが分かってしまった。堕落しても、破滅してもこの笑顔のためなら何でもしちゃうかも・・・。
ああ、なんて悪い男・・・。
そんな事で気が緩んでしまったのか、あたしの警戒心はすっかり解かれていた。この時点であたしはもう堕ちたも同然だったのかもしれない。
「ここって、エビく・・・蛯原君が作ったの?」
恐る恐るも話かけてみると、エビくんは「エビでいいよ」と笑った。
「もともとは遣木梨が私室として使ってたんだ。けどあんまり居ないから、時々化学部の先輩が勝手にお菓子とか雑誌とか持ち込んで遊んでたんだって。そしたらそれに気づいた遣木梨が何を思ったか設備を整えだして、こんな風に開放してるんだ」
「やるきなし?って化学部の顧問だっけ?」
「うん。あ、俺化学部長なんだよ。活動は1度もしたことないけどね。」
なんか意外だ。化学部って、正直幽霊だらけのあって無いような部だし、先生もやる気ないし。でもその特典として、この部屋があるのかもしれない。
「それで鍵持ってたんだ。じゃあ、ここに入れるのはエビ君だけ?」
「そうだね。遣木梨には自由に使っていいけど、あまり人は入れるなって言われてるから。まぁ実質、代々部長のデート部屋って感じだよね」
でででデートぉ!!?何であたしをこんなとこにっ!?
とちょっと浮かれたものの・・・いや待て。あたしは脅迫されるんだから、あたしに関しては監禁部屋だ。きっとエビくんはオブラートに包んでくれたんだ。
気を抜いちゃいけないとは思いつつも、エビ君の巧みな話術によってあたしの防御はあっけなく解かれてしまうのだった。
気づけば他愛もない話をしつつ、食後のティータイムを楽しんでいた。
こんな美男子と普通に話せてる自分が信じられない。男の子とまともに話した事なんて、小学生の頃以来なのに。
けれど意識したとたん、まるで魔法が解けるようにあたしは再びガチガチに緊張してしまった。エビ君はさっきから全然昨日のことには触れないけど、そもそもあたしがここに呼ばれたのって、バイトの理由を聞くためなんじゃなかったっけ・・・。
「あのー・・・」
あたしはタイミングを見計らって、自分から切り出す事にした。
「えと・・・その、理由が聞きたいって言ってたよね」
緊張のあまり主語が抜けて意味の通らない言葉になってしまった。でも聡明なエビ君はすぐに何のことかわかったようだけど、
「あー・・・そういえばそうだったね。うん。」
なんだかその反応はまるで今思い出したような風だった。あれ?もしかして墓穴掘っちゃった?
「えーっと・・・その・・・」
言うべきことを頭の中でまとめてみるけど、・・・なんでこの人に言わなきゃならないんだろう。いくらバイトしてるのがバレたからとはいえ・・・。
どうにも恥ずかしいし、緊張もするしで口ごもってしまうと、エビくんは朗らかに笑った。
「いいよ無理しなくて。それにほんとはあれ、しず代ちゃんを誘うためのただの口実だしね」
「へっ?そ、そうなの?」
「うん。前からずーっと話したいと思ってたんだよ。ほら前ボウリングしたじゃん?あの時からちょっと気になっててさ。でもなかなか近づく機会がなくて・・・けど偶然昨日会っちゃっただろ?これはチャンスだと思っちゃってさ」
「う・・・嘘。だってあたし・・・」
エビ君の言葉にはどうにも現実味が感じられない。だって、ボウリングの時は本当に何を話したか覚えてないくらい、多分何も話せてないのだ。話しかけられても今みたいにアタフタしてただけで、会話なんて成立してなかったはず。
・・・気にされるような覚えはどこを探したってない。
「嘘じゃないよ。ちゃんと話せてないからこそ気になってたんだよね。しず代ちゃんってどんな子なのかなーって」
そう言ってエビ君は少しテーブルの上に身を乗り出すようにしてあたしの顔を眺めた。
カフェオレになってしまったコーヒーよりもあまーい双眸があたしを見つめている。あたしは思わず後ろに退いてしまい、それを見てエビ君は色素の薄い目を細めた。
「でもさ、話してみたらますます興味がわいちゃったよ。大人しい子かと思ったら意外とそうでもないし、話してて楽しいし」
「え!?そ、そんな事ないって!」
「そう?だってさっき盛り上がったじゃん?」
「で、でも・・・いっぱいいっぱいなんだよ。あたし人見知りだし・・・、男の子苦手だし・・・」
厳密には、「かっこいい」男の子が苦手なのだ。遠くから見て一人で興奮するのは大好きだけど、接触するのはどうにも無理で、目の前にするとフリーズしてしまうのだ。
まぁ原因はわかってるんだけど。
「でも今俺とちゃんと話してくれてるじゃん?俺は楽しいよ?しーちゃんと喋るの。もっとしーちゃんのこと知りたいと思うよ」
「うぐっ」
そ、そんな事言われちゃったら調子に乗っちゃうよ!
ホストと一緒で、嘘だって分かってても・・・。だってあたしは・・・イケメンが大好きなんだもん。
思わず財布に手が伸びそうになってしまった。脅されてないのにお金払いたくなっちゃうなんて。
「あ、ありがとう。お、男の子にそんな風に言ってもらえたの、初めて」
「そっか、俺がしーちゃんの初めてなんだ。嬉しいな」
まるで息を吐くようにさらっとエビ君は言う。その言葉がどれだけあたしの心拍数を上げているのか、きっとわかってないんだろう。
「で、でも。あたしにあまりそういう台詞言わないほうがいいよ。ちょ、調子に乗っちゃうから」
あたしがそういうとエビ君は一瞬不思議そうな顔をした。
「乗っちゃいなよ?俺、思ったとおりのことしか言ってないし」
「だだだダメなの!そ、それで昔失敗してるし・・・」
やばい、つい口が滑ってしまった。出来ればあまり思い出したくない、あたしのトラウマ。
「辛い事でもあったの?」
「う・・・」
エビ君の問いかけにあたしは答えられなかった。自分で言っておいて何だけど、出来れば今はまだ話したくない。
するとやっぱり聡明なエビ君は、あたしの気持ちを汲んでくれたのかそれ以上突っ込んでくることはなかった。
代わりに、
「でも俺は、さっきの元気なしーちゃんが本当なんだとしたら、そっちの方がずっといいと思うよ。俺がそう思うだけじゃダメかな?」
そう言ってくれた。
やばい。絶対今あたしの顔はゆでだこみたいになっている。なのにあたしを真っ直ぐ見ているエビ君から目をそらせない。
「い・・・いい?のかな?ちょ、調子に乗っちゃって」
「乗っちゃおうよ!ここにいる間は全部忘れちゃってさ。自然なのが一番だよ」
「え、エビ君がいいなら・・・それじゃ、ちょっとだけ・・・の、乗っちゃおうかな」
エビ君は笑顔で片手を挙げた。あたしがまごまごしていると「ほら」と軽くハイタッチの仕草をしてみせる。
あたしはそっとエビ君の手のひらに触れた。
その時。空気が読めているのか読めていないのかわからないチャイムがなった。
「あーぁ。いいとこだったのに。・・・5限サボっちゃう?」
エビくんは小悪魔っぽく笑って言ったが、あたしはぶるぶるとかぶりをふった。
「ダメダメッ!!授業はちゃんと出なくちゃ」
そりゃサボりたい気持ちがなかったわけじゃないけど・・・正直久々すぎるメンズ絡みのドッキドキに心臓が悲鳴を上げていたのだ。
エビ君はしぶしぶとテーブルの上を片付け始めた。
夢の城からの帰り道。夢見心地な中で、あたしはふとした寂しさに襲われた。
楽しい時間の後、必ずやってくるネガティブタイム。これはきっとトラウマの賜物だ。いいことでも、どこか疑ってみる癖がついてしまっている。
ここに来られるのも、これっきりなのかな・・・。
エビ君にとってあたしなんて、ただの暇つぶしに過ぎなくて・・・
「しーちゃん♪」
と、ネガティブの渦に落ちかけていたが、あたしははっと我に返った。隣にはエビ君が笑って立っている。
「また誘うからね」
「え!い、いいの?」
「当然じゃん?え?まさかこれっきりとか思ってた?そんなぁ悲しいよ」
「ご、ごめん。でもなんか色々と夢みたいで・・・」
「夢で終わらせちゃダメだよ。これからもっと仲良くなって、いろんな事して、トラウマも克服しなきゃね」
え?なんかお話が壮大になってません?
でも、なんだかエビ君の前でなら、自然なままでいられる気がする。ガチガチに緊張してても、エビ君にはそれを解きほぐす不思議な力があるんだから。
変な話だ。一番苦手なタイプの人なのに、誰よりも心が溶かされてる気がするなんて。
いや、タイプ云々じゃなくて、きっとエビ君だからなのかも。
「そ、そうだね。あたしは、エビ君さえよければいつでも・・・!」
我ながら調子乗った発言だったかな?と思いつつ、いつかこんな事も気にしないようになれるかなと、あたしは思った。
【おわり】
あとがき→
このテンションの高さはなんなんだ
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