仮面少女

男なんて嫌い。

あたしは正直言って、結構モテる。
まぁ、可愛いからね。努力して、可愛くなったから。でもそれはモテたかったからって訳じゃなくて、可愛くしてるのだって男の為なんかじゃない。
顔が可愛ければ、よっぽど性格に問題がない限り、モテる。だからあたしがモテるのは当然のことかもしれない。
でも、あたしはモテたくない。男なんて面倒なだけ。
所詮見てるのは顔だけの軽い奴ばかり。それでいて、いらないトラブルも運んでくる。
モテる男子に告られちゃった日なんて最悪。しばらく女子の襲撃に用心しなきゃならない。
モテたくないけど、ブスではいたくない。ブスは嫌。こんなに可愛く変われる自分を知っちゃった後では、もう戻れない。
ほんっとに、男ってめんどくさい。

こんな固定観念が生まれてしまったのは、今から1年ほど前にしたある体験のせいだった。

高校1年の春。知り合いも誰もいない学校で、生まれ変わった姿のあたしは、これから始まる高校生活に胸を躍らせていた。
元々社交的なタイプだと思う。だから、友達もすんなり出来た。
前の席だった佐々木梨々緒、その子が一番最初に出来た友達。それから梨々緒の繋がりで、松井美智瑠、梅木真菜と仲良くなった。それから、あたしたち4人は何をするにもほとんど一緒の、仲良し4人組となった。
それからは、青春真っ盛りと言わんばかりの、楽しい時間が過ぎていった。・・・夏休み前までは。

「ねぇねぇ苑子、ちょっと話があるんだけど」
林間学校が終わってすぐの、ある日の放課後の教室。美智瑠が妙に改まった感じで声をかけて来た。
「何?」
「ここじゃ何だからドドールで」
そして、たまり場でもある駅前のドドールへ、2人で移動した。あたしはいつもと同じアイスカフェモカとミルクレープを、美智瑠は宇治抹茶ラテを注文し、席についた。
しばらく何気ない話をした後、美智瑠は意を決したように切り出してきた。
「あのね。あたし、木下君のこと好きになっちゃった」
美智瑠の告白は、それほど驚く事でもなかった。木下君とは、あたしの隣の席の男子だ。美智瑠が好きな俳優にちょっと似てて、イケメンの部類の入るかもしれない。なのに別に鼻にかけたとこもなく、割と話しやすい。美智瑠を交えて話したことも何度かあったけど、これまで美智瑠は特に気にした素振りをみせてなかったから、ちょっと意外ではあったけれど。
「そーなんだ?」
一応、ちょっとオーバー気味に驚いてみる。
「林間学校で同じ班になってね。まぁ、好きになっちゃったよね。前からかっこいいなーとは思ってたけど」
美智瑠はほんのり顔を赤くしながらそう言った。
林間学校は、学期始めの親睦会的な役割もあって、全クラスごちゃ混ぜで編成される。だからか、実際林間学校のあと、カップルが成立することは多いのだった。
それから美智瑠は、木下君の胸キュンエピソードを嬉々として語り、あたしはクレープ片手にそれを聞いていた。そして。
「で、あんたに頼みがあるのよ・・・」
ややもったいぶった感じで、美智瑠はじっとあたしを見つめてきた。
気の強そうな目に捉われて、なんとなーく、嫌な予感がする。
美智瑠は、背も高くて性格も割と強気で、自然と女子内のリーダー的な立ち位置に収まっている。同じ中学だった梨々緒曰く、中学時代も女番長をしていたらしい。
仲はいいけど、ちょっと気を遣うところがあるっていうか、ちょっとだけ、2人きりになるのは苦手なのよね。
そして次に美智瑠の口から出た言葉は、まぁ大方想像通りのものだった。
「木下君と仲いいでしょ?あたしに協力しなさいよ」
「えー!別にそんなに仲良くないし、第一協力するっていってもどうやって?」
「そんなの自分で考えてよ。木下君があたしを好きになるように仕向けてくれればいいのよ」
美智瑠は自信たっぷりといった笑みを浮かべた。
なんという無理難題。同じクラスだし、別にあたしの助けなんて必要なさそうに思えるけれど、断れる雰囲気じゃないよね。
そして仕方なくあたしは、キューピッド役を引き受ける事になったのだった。

次の日から、あたしは積極的に木下君に話しかけるようにした。それとなく好みの女の子のタイプを聞いたり、会話に美智瑠を呼び入れたりして、あたしなりに2人の距離を縮めようと頑張ってみた。
その甲斐あって2人が会話する機会は格段に増えた。けれど、いつまで経っても、特別な進展を見せることがなかった。
美智瑠も美智瑠で、積極的に木下君にアプローチをしない。「恥ずかしいから」と照れて見せてはいるけど、正直あたしはかなりイライラしていた。
第一、まず、見込みが薄いのよ。
彼のタイプは、「小さくて、色白で、髪の長い子」。はっきり言って、美智瑠とは真逆なのだ。美智瑠は陸上部というのもあり、肌は浅黒いし髪も短い。一応それとなく聞いてはみたけど、やっぱり、全く美智瑠には興味がない風だった。
あたしがいくら頑張ったって、この圧倒的に不利な状況は、本人の努力なくしては変えられるものじゃないのに。

そんなヤキモキした日々を送る中、だんだんと状況は怪しい方向へと動いていった。
木下君が、全く美智瑠に見向きもしなくなったのだった。美智瑠がいても、あたしにばかり話を振ってくる。そんなだから裏では当然美智瑠に責められ、どんどんあたしの立場は苦しくなっていく。
ある日の昼休み。トイレに行った帰りに、廊下で仲間とダベっていた木下君に声をかけられた。そこで、木下君はこう言ってきたのだった。

「なぁ。何でいっつも松井と話させようとするわけ?」
あたしはぎくりとした。やっぱり、気づいてたか。
「え?や、2人には仲良くなって欲しいと思って」
「なんで?向こうはそういう風に見えないけど」
「あー、そ、それはねぇ」
すると、そこにいた男子の一人が、「もしかして、パシリ?」と声を上げた。それに、美智瑠と同じ中学だったらしい男子が乗っかる。「そいや、中学ん時もんなことしてたなぁ。気に入った男子は仲いい女子使って手に入れる、って。俺のダチもそれで女子に泣きつかれて、無理やり付き合わされてた」
それを皮切りに、口々に美智瑠の悪口を言い始める男子達。あたしは慌てて周りを見回した。
美智瑠は部の集まりがあると言って、ご飯のあとすぐにいなくなっている。・・・よかった、どこにもいない。
「マジ?」
木下君の問いに、あたしは曖昧に笑うことでごまかそうとした。けれども。
「悪いけど俺、そういう気ないから。別に好きな子いるし・・・」
そしていきなり、続けてこう言ってきた。
「苑子。夏休み中、遊びに行かない?2人で」
「はっ!?」
あたしが思わず声を上げると、周りの男子達はいっせいに囃し立て始めた。木下君は少し恥ずかしそうにあたしを見下ろしている。
・・・嘘でしょ。
勝手に盛り上がる男子達を収めようとしていたその時、背中に突き刺さる視線を感じた。
・・・まさかと思って振り向いてみると、そこには、鬼のような形相であたしを睨みつける美智瑠がいた。

それから、当然の如く美智瑠の態度は一変した。
話しかけても一切無視。電話もメールも拒否。弁解する機会さえ与えてくれない。・・・といっても、何をどう弁解したらいいのかよくわからないけど。
美智瑠の子分的存在だった真菜も、同じように寄り付かなくなった。梨々緒はあたしの立場も全部知っていて、こっそり話しかけてくれたりしてたけど、段々それもなくなった。やっぱり、美智瑠に圧力をかけられてるんだろう。
無視の輪はグループ内だけに留まらず、あっという間に女子全体に広がった。男子達も面倒事には関わりたくないのかよそよそしく、木下君でさえ目も合わせないようになった。
今や、あたしはクラスで完全に孤立していた。
そんな絶望的な状況の中まもなく夏休みに突入したのは、不幸中の幸いだったのだろうか。その後に来る本当の地獄が、先延ばしにされただけだったのかもしれないけど。

夏休み中、こっそり梨々緒は連絡をくれていた。直接会うことは出来なかったけど、電話で「何とか美智瑠を説得してみる」と何度も言ってくれた。梨々緒は気が弱いところがあるから、あまり期待はできなかったけど、それでも一縷の望みをかけていたのも事実。
けれど、夏休みが明けても、事態は全く好転してはいなかった。新学期に登校してきたあたしを待っていたのは、冷酷なまでの無関心。
(あーぁ。やっちゃったな)
まだ、2学期が始まったばかり。しかもこのあと、文化祭や修学旅行といった大イベントも待ってるっていうのに、こんなことになっちゃうなんて。
これから先の学校生活に絶望せざるをえない状況だった。美智瑠の誤解(?)を解ければ何とかなりそうではあるけれど、何をやってみても効果はなかったし、もはやお手上げ。
それでも、被害が無視だけだったせいか、何とか我慢は出来た。
こう見えてあたしは、割とポジティブだと思う。2年に上がればクラス替えがあるし、そうなったら状況は変わるだろう。楽しみにしてた修学旅行が悲惨なものになりそうなのは諦めるとして、それまで何とか一人で頑張っていこう。そう心に決めた。

一人は慣れれば割とどうってことはなかった。授業中はクラスの人と関わる必要は殆どないし、休み時間は適当に他のクラスの子の所に行けばいい。体育なんかはちょっと辛いけど、美智瑠のご機嫌を伺う事もしなくていいし、逆に気楽でいいかも知れない。うん、なんとかやっていけそう。
そんな無視ライフの中、ちょっとだけ嬉しい事もあった。
クラスの中で、一人だけあたしを無視しない子がいる。
平野美貴。
彼女も、ある意味ではクラスでちょっと浮いた存在だった。
美智瑠と同じくらい背が高いけど、アスリート系の美智瑠に対して彼女はモデル体型。しかもすっごく美人。なのにちょっと無愛想で、一人でいる事が多かった。けど男子とはよく気さくに喋ってたから、美智瑠は何かにつけて彼女の事を悪く言ってた。あたしはというと、別にそんなに悪い印象はない。多く話した事はないけど、さっぱりしてて、美智瑠なんかより全然付き合いやすそうとまで思ったぐらいだ。

無視されないとはいっても、かといって仲良くしてくれるわけじゃなかった。
クラスの人があたしに関わる事を避けたがるから、美貴がやってくれるというだけ。体育や美術なんかの共同作業が必要な時は、嫌な顔一つせず組んでくれる。それだけでも、あたしはすごく嬉しかった。

しかし。そんなつかの間の小康状態はすぐに終わった。
ある朝、登校すると、上履きがなかった。
(うわ。ベタな手法・・・)
遂に、嫌がらせは無視から一歩グレードアップしたのだ。
周辺を探しても見つからず、まさかと思って玄関横のゴミ箱を見ると、ゴミに埋もれた上履きの一部が覗いていた。
さすがに履く気にはなれず、その日一日はスリッパで過ごした。
そしてその日から始まった、ベタな嫌がらせの数々。物を隠される、壊される等々。程度としては軽いものだったけど、その都度買い直したりするのは地味に出費だし、精神的ダメージはかなりのものだった。頻繁に買ったりしてると親にもバレそうだから、そのうち諦めて破れたままのジャージを着たりしてた。こんな事されてるのは、出来るだけ隠したかったから。

ある時美貴が、お昼を誘ってくれた。無視されるようになってから、初めてのお誘いだった。即答でOKしたいところだったけど、
「あー、でもあたし、お昼ないから・・・」
持ってきてたお弁当は、ゴミ箱の中で見つかった。多分、移動教室か何かの隙にやられたんだろう。諸々の出費でボチボチお昼代もないし、飲み物だけで済まそうと思ってたところだった。
「だいじょぶ、皆の分けたげるから」
美貴は軽く笑ってそう言うと、ついて来い、と言わんばかりに教室の出入り口に向かって顎をしゃくった。
皆、っていうのに一瞬引っかかったけど、まぁ何でもいいや。あたしは美貴の後について教室を後にした。

向かった先は、屋上だった。
屋上は、ちょっとしたテラスみたいになっていて、お昼スポットとしては人気の場所だった。とはいっても上級生が多いから、殆ど来たことはなかったけど。
屋上の扉を開けると、正面のテーブルに男子が数人固まっていた。あとはちらほらと2人組がいるくらいで、割と空いている。
あたし達が入ってきたことに気づいて、正面にいた坊主頭の男子が手を上げた。
「おっ、美貴様ー!」
美貴はそのまま坊主のいる男子達のテーブルに着き、あたしに向かって手招きする。
「ほら、早く来なよ」
「えっ、いいの?」
「いいから、早く」
そこにいた男子達の中には、何人か知ってる顔もいた。クラスは違うけど、学年内で結構目立つ男子達だ。美智瑠や梨々緒達も騒いでたっけ。
どきまぎしながらもあたしも美貴の隣に座る。
「えーっと、こんにちはー。」
とりあえず挨拶すると、ホォオオッと、天パの男子が奇声を上げた。そしてあたしの隣へと椅子ごと慌しく移動してくる。
「ちょ、可愛い!何組!?名前は!?」
「うるさい」
美貴は天パを軽く嗜めると、そこにいた男子を一通り紹介してくれた。
円形のテーブルを囲って、美貴から時計回りにガンリキ、エビ、枝藤、そしてあたしの隣に来た天パの志田。
みんな美貴の友達らしい。
「この子は同じクラスの陣之内苑子。さっそくだけどあんたら、昼飯分けてやって」
えっ、とあたしは思わず小さく声を上げ、美貴に向かって言った。
「い、いきなり悪いよ」
「いーの!こいつらのことは気にしなくて。ねぇ志田?」
志田はすると、目の前に置いていたコンビニ袋をあたしに寄越した。ただのお昼ご飯にしては、袋はワンサイズ大きかった。
「忘れちゃったのか!おっちょこちょいだなぁ苑子ちゃん!なんならこのコーヒー牛乳も飲む?」
あたしが飲みかけのコーヒー牛乳を前に唖然としていると、美貴は袋からおにぎりを1個取り出し、残りを志田に突き返した。
「バカじゃないの、こんなに食えるかっての。ほら、後の奴らもキリキリ出しなさいよ」
美貴様に言われて、他の男子達もパンやらお弁当のおかずやらを分けてくれ、いつしかあたしの目の前には大量の食料が並んでいた。肉、サラダ、パン、パスタ、米。まるでビュッフェみたいなラインナップ。さらにデザートに志田がくれた大福もあって、かなり充実している。
「・・・ほんとにいいの?」
あたしが聞くと、男子達はうんうんと頷いた。
「けど、食べれる?」
美貴がちょっと心配そうな顔で見てくる。
正直あまり食欲はなかったけれど、いざ食べ物を前にしたら俄然沸いてきた。あたしは、
「大丈夫、あたし割と食べる子だから!」
そして食べ出すとやっぱり止まらなくて、ものの数分で目の前の食料を食べつくしてしまった。さすがに満腹度はかなりだったけれど。
「はー、お腹いっぱい」
「すっげー、ほんとに全部食っちゃった」
坊主もといガンリキが、目を丸くして言った。
「イイ!よく食べる子最高!好き!!」
「志田、わかったから少し落ち着けよ」
エビが失笑気味に志田に声をかける。この中では一番、というよりモデルとかホストレベルにかっこいい。
そして枝藤がクッと笑いを漏らした。なんかこじらせてる雰囲気の男子だ。
「みんな、ありがとうね。このご恩はいつか必ず・・・」
「じゃあじゃあ、ハグ!ハグして!!」
「あんた、いい加減にしなさいよ」
あたしに向かって腕を広げてきた志田の横頭を、美貴が度突いた。

志田は若干しつこかったけど、皆ノリが良くていい人達だった。初めて会ったのに、前から友達だったみたいな感じ。嫌がらせのこともすっかり頭から無くなって、あたしは久しぶりに心の底から笑って過ごした。
だから、昼休み終了のチャイムが鳴った時、本当に夢から覚めたみたいな気持ちになった。
それぞれの教室に戻っていく男子を見送ったあと、自分も教室に入ろうとして、はたと足が止まる。
(・・・大丈夫!)
毎朝そうしているように、自分にそう言い聞かせる。足を踏み出そうとした時、ぽん、と肩を叩かれた。
振り向くと美貴が、あたしを押しのけるようにして先に教室に入っていった。何だかすごく、美貴の背中が頼もしく見えた。本当に大丈夫かもしれない、そう思えてあたしもあとに続く。

授業開始時刻になり、先生が教室に入ってきた。けれど、来たのは担当教師じゃなく、学年主任だった。
「エー突然ですが古田先生が急用で早退されましたので、この時間は自習になります。各自問題集のー・・・」
途端にざわつきだす教室内。主任は指示を出すとさっさと教室から出て行き、同時にあちこちでおしゃべりが始まる。
そんな中あたしは大人しく問題集を開き、与えられた課題に取り掛かった。進学校である某校とはいえあたしのクラスは割と不真面目な生徒が多く、ちゃんと自習してるのはあたしを含めて2,3人くらいしかいない雰囲気だった。
雑音の中で、とりわけ美智瑠の声だけが別物みたいに通って聴こえる。
あたしの席の斜め前の美智瑠の席を、取り巻き数人が囲っていた。
真菜と梨々緒だけだった取り巻きは、いつのまにか他のグループの女子も巻き込んで今や10人近くになっている。
梨々緒だけは前々からあまり気乗りしない様子で、人数が増えた今はさりげなく外れてる事が多かった。今も梨々緒はあの中に参加していない。・・・梨々緒も美智瑠のこと、あまり好きじゃない感じだったからな。

「はぁ?ありえなくね?あたしから奪ったくせにもう鞍替え?」
耳に突き刺さってきた言葉に、ぎゅっと心臓を掴まれたみたいな感じがした。もはや勉強どころじゃない。
「ほんっと人の男取るの好きだよね。真菜、エビ君のこと気に入ってなかった?」
美智瑠はわざとらしく声を張っている。そんなことしなくても十分聞こえてるのに。
あぁもう、ここからいなくなりたい。

と、突然、頭にすごい衝撃を受けた。驚いて顔を上げる。
一瞬何が起きたのか分からなかった。・・・殴られた?ボタっと音がして、足下に何かが落ちた。上履きだ。頭を押さえて反射的に美智瑠のほうを見ると、美智瑠はこちらを向いて足を組んで座り、あたしを冷たい目で睨みつけている。よく見ると、組んだ方の足に上履きがなかった。
しかし目が合ったのは一瞬の事で、さっと美智瑠は顔を氷解させ、
「あっ、やっばー靴とばしちゃった」
わざとらしく高い声で叫んだ。周りの取り巻きが同調の笑いを起こす。・・・あいつ、わざと当てやがったな。
あたしは足下に落ちている美智瑠の靴を睨みつけた。もちろん、美智瑠から顔が見えないようにして。
「誰か取ってきてくんないかなぁ」
また媚びるような声が飛んできた。声はそんなだけど、その言葉の意図は面白いくらいに透けて見える。
その証拠に、いつもならすぐ美智瑠の手足みたいに動く取り巻き達が、クスクス笑いを浮かべている。
「一番近い人ー、持ってきてよ」
美智瑠の声が、ちょっと苛立ったようなものに変わった。
あたしは動くべきか否か迷った。
正直かなりムカついていたけど、こんな風に向こうからあたしが接触してくるように仕向けて来たのは初めてのこと。もしかしたら、ここで謝れば許してくれるのかな?とかいう希望的観測を抱いてもいたのだ。美智瑠は陰険な奴だけど、度を越したひどい事はしないはず。

そうして少し迷っていた時、ヒャッと悲鳴が聞こえた。・・・今のは美智瑠?
「あー。飛ばしちゃった」
若干棒読みの声が飛んできた。美智瑠は火がついたように怒り狂い、立ち上がって吠えた。
「痛ったい!!なにすんのよ!!」
「悪いけど持って来てー」
あたしはびっくりして美智瑠の視線の先を見た。美貴だ。美貴が美智瑠に靴を投げたんだ。
猛牛みたいに顔を真っ赤にしている美智瑠とは対照的に、美貴は涼しい顔をしていた。
教室内はシーンと静まり返っている。取り巻き達も、美智瑠の加勢をするのも忘れて固まっている。
「ふっざけんな!!」
その時美智瑠が、落ちていた靴を美貴に向かってぶん投げた。美貴はさっと首をひねってそれを避け、その後ろの席の男子がとばっちりを食った。
「謝れよ!!!!」
美智瑠は吠えながら、猪みたいに美貴に突進していった。・・・何だか、やばい事になってきた。
教室内は、当事者2人以外皆黙りこくっている。誰一人止めようとはしない。
「オメーが謝れよ」
美智瑠に胸倉を掴まれながらも、美貴は美智瑠にドスの聞いた声を突き刺した。視線だけで人を殺せそうな、ものすごい睨みとともに。
「はぁ?!」
「テメ、自分がした事忘れたのか?まず苑子に謝れ。そしたら謝ってやるよ」
「ふっっっざ!!!」
そこであたしは飛び出した。このままだと乱闘騒ぎにでもなりかねない。
「も、もうやめよ!!もういいから!!」
あたしは2人の間に割って入った。「何がいいんだよ!!」と怒鳴る美貴を強引に引っ張って、あたしは教室を飛び出した。

途中何度も振りほどかれそうになったけど、屋上についた頃には美貴の抵抗も止んでいた。
特に考えがあったわけじゃなく、気づいたらここに来ていた。外ではどこかのクラスが体育をしていて、声が聞こえてくる。
美貴の腕を離すと、美貴は近場の椅子に乱暴に座った。
「何で止めんの?マジあいつ一発殴らないと気が済まないんだけど」
「ダメダメ、暴力は禁止」
あたしも美貴の向かい側に座る。
「・・・何で?あんただってムカついてんでしょ?何でいっつもやられっぱなのよ」
「んー・・・、悪いのはあたしだし・・・」
美貴は眉間に深い皺を寄せてあたしを見た。あたしはそこで、美智瑠に嫌がらせをされるようになったいきさつを掻い摘んで話した。それが終わると、美貴は「はっ」と軽く吐き棄て、
「やっぱね。そんな事だろうと思った」
美貴は苦々しく言った。そしてさらに続ける。
「別にあんた悪くないじゃん。あいつが勝手に逆恨みしただけでしょ」
「でも、美智瑠を怒らすような事しちゃったのには変わりないし」
美貴はもううんざりといったようにため息をつき、あたしから顔を背けて足を組み頬杖をついた。
「慈悲深いこったね。あたしはそういうの許せないけど。仮にあんたに非があるとしたって、あいつのやってたことは報復でも何でもないよ。それをダシにしたただのイジメ」
あたしはその言葉に、思わず乾いた笑いを漏らした。やっぱり、ハタからみたらそうだったのか。あたしはイジメられていたのね。
心のどこかで、『これはイジメじゃない。ただの喧嘩なんだ』そう思っていた。思いたかった。・・・けれど。
急に喉の奥が熱くなった。続いて、抑え切れない程の泣きたい衝動が襲ってくる。
あたしは、我慢できなかった。涙が零れると、もうどうにも止まらなくてすぐに嗚咽に変わる。美貴が隣に来る気配がして、軽く頭をポンポンされた。

ひとしきり泣いて気持ちが収まって来ると、美貴は傍の自販機でジュースを買ってきてくれた。飲んだ事のないジュースだ。プルタブを開けて、一気に飲んだ。すごい炭酸。
「ぷはーーーー」
炭酸がきつすぎて思いのほか飲めなかったけど、すごく爽快な気分。
「すっきりした?」
美貴が尋ねる。
「うん!」
あたしは答えて、もう2,3口飲んだ。


「あーぁ。なんかバカみたい。・・・嫌ーなとこもあるけど、友達だと思ってたのになぁ」
「バカだね。」
美貴はさらっと言った。
「・・・ねぇ、美貴って一人で平気なの?あたしみたいにハブられてたわけじゃないのに、ずっと一人だったよね」
「別に平気。合わない奴らと無理して付き合うくらいなら一人の方がマシだし」
「すごー。強いのね」
「そういうのとは違うんじゃない?一人っつったってあのクラスの中だけの話だしね」
ふーん、とあたしは改めて美貴を見た。昼休みの、ガンリキ達の中で笑う美貴の姿を思い出す。
「あんた、あのクラスで友達って呼べる奴ら何人いた?」
唐突に美貴が聞いてきた。
「え?・・・んー、ほとんど全員だったと思うけどな。割と仲良かったし。いっつも一緒にいたのは3人だけど」
「じゃ、その3人のうち美智瑠以外のどっちがが、あんたと同じ目にあってたとしたら。どーする?」
「え・・・」
あたしは詰まってしまった。そりゃ、勿論助ける。でも、助ける=美智瑠に逆らうこと。それがあたしに出来るだろうか?口では簡単に言えるけれども、実際に行動に移すのはかなり難しい事だ。
あたしがうまく答えられないでいると、美貴は話し始めた。
「月並みだけどさ、困ってるときは助け合うのがほんとの友達ってもんでしょ?一緒にいるだけいて、困ってるときは知らないフリとか、そんなん友達って言わないよね。上下関係あるとか持っての他。ってことは、あんた”も”元々一人だったのよ。あたしに言わせれば、あんただけじゃなくあのクラスの奴らほとんど全員そうだけど」
あたしは複雑な気持ちになった。
美貴の言葉は正しい。でも、あたしの交友関係を全否定されるのには、なんか納得がいかない。確かに、美智瑠にはかなり気を遣ってたけど、真菜や梨々緒が、(もちろん美智瑠だって)困ってたら素直に助けたいと思う。特に梨々緒は、一番最初に出来た友達だけあってほんとに仲良しだった。4人で過ごした時間だって楽しかったし、少なくともあたしは、上辺だけのつもりで付き合ってなかった。
だからこそ、イジメられるはずなんてないって思えてたんだ。
「そんなことないよ。人には色々事情があるでしょ。美貴みたいに強い人ばっかじゃないんだから」
あたしは反論してみた。怒るかと思ったけど、意外にも美貴はあははっと声を上げて笑った。
「そーだね!実際あたしみたいなのは嫌われるタイプだし」
笑う美貴に釣られて、あたしも笑った。笑ってるうちに情けないやら悔しいやらでますますおかしくなってくる。
声に気づいた外の生徒に見つかりそうになって、あたし達は慌ててテラスから校舎の陰のほうに逃げた。
それがまたおかしくて、あたし達は床に寝そべりながら笑った。

「あーーーもーーー!!むかつくーーー!!」
笑いの波が去ったあとで、あたしは素直な思いを叫んだ。また外に聞こえるかも、と思ったけど気にしない。
「どーーせ、あたしは一人ぼっちよーーー!!一人上等!!」
「上等!!」と美貴が笑いながら合わせてきた。
「もーね!この後なんかやられたらあたしキレる!キレてやる!もう全っ員にブチキレてやる!!」
「あたしも乗ったげる。暴れるのは得意だから」

あたし達が入ってきた途端、教室内はしんと静まり返った。皆が皆、見てみないフリをする。
さっきまでのあたしはこれが死ぬほど嫌いだったけど、今は違う。なんか、怖いものがなくなった気分だ。
しーんとした空気に耐えかねて、あたしと美貴は思わず吹き出した。

美智瑠の更なる攻撃に身構えていたけれど、その日から嫌がらせはパッタリなくなった。クラス全員からの無視は続いていたけど、それはもうあたしにとっては痛くもかゆくもなかった。あれから美貴と友達になったし、ガンリキ達とワイワイやってる。
全くダメージを受けてないあたしたちを、美智瑠が悔しそうに見てるのがちょっと快感ですらあった。それによくよく見れば、無視を先導してるのは美智瑠だけで、あとは仕方なく従ってるだけだ。あたしは周りを責める気はない。だからあたしが普通にしていれば、ぎこちなくも皆応えてくれるようになった。そうして段々美智瑠帝国は崩れていき、ますます美智瑠は顔を真っ赤にしていたものだ。

諦めてた修学旅行もそれはそれは楽しかった。梨々緒が、勇気を出してあたしと美貴の班に入ってきてくれたのだ。
ホテルの部屋では美智瑠に逆らえなくてずっと苦しかった事も話してくれた。やっぱり、梨々緒はちゃんと友達でいてくれたんだ。あたしは嬉しくて、その夜また泣いた。

そして2年に上がった今。美貴とは分かれちゃったけど、梨々緒とはまた同じクラスになった。
「美智瑠ね、1組で浮いてるらしいよ。リーダー格の女子が多くて、子分作るのに失敗しちゃったみたい」
そんな梨々緒の言葉に、あたしはさして興味も沸かなかった。

・・・と、随分長くなっちゃったけど、あたしが男嫌いになったのはこういう理由があってのこと。
え?男がどこに関係あった?って思うかもしれないけど、これだってそもそもの発端は男が原因なのよね。
あ、あたしがモテちゃうのが悪いのか。

【終】

あとがき→

苑子は化粧で可愛くなったクチです。すっぴんが別人です。

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